変化したことの自信は自己肯定感につながる

思考の書き出し(メイン)

自己肯定感が低くて、自信が持てない。
それが普通になりすぎていて、自信を持つことが”驕り”であるように感じてしまう自分がいる。

これまでずっと、自分の意見よりも誰かの意見のほうが正しいと思い込んで生きてきた。
さらに言えば、自分でやっても上手くいかないことが多かったから、自分でやらないほうがスムーズなのだとさえ思っていた。
(実際は、初めてのことを最初から上手くやろうとして失敗しただけで、何度もやればできるようになるだけの話だった)

小さい頃も、学生時代も、会社員の時も、自分ではなく誰かの指示に従うことが正しくて、それが一番ラクだった。
でもそんな自分に嫌気がさして、ずっとずっと「変わりたい」って言っている自分がいた。

 

今でも相変わらず自己肯定感は低いほうだと思う。

相変わらず人と比べるのはやめられないし、
相変わらず人の方が進んでて自分は遅いもしくは止まっているように感じるし、
相変わらず自分には何の取り柄も無くて何もできないと思う。

でもそう感じる頻度はとても少なくなったし、それを理由にどーんと落ち込むことはもうほとんどなくなったなと思う。
どちらかというと「あ、また考えてる。何かがおかしい証拠だ」みたいな、自分の異常を知るアラートみたいになった気がする。

 

あくまで気がするだけだから実際のところは知らんけど、それでいいと思う。
よくここまで変わったよ。よくやってるよ自分。

そうやって自分を褒めて、認めてあげられるようになったのも、自分が変わった証拠だ。

 

過去を振り返れば振り返るほど、過去の自分が恥ずかしくなってくる。

どうしようもない甘えんぼのくせに意地っ張りの見栄っ張りで、嘘もつくし約束も守れない。
とんでもない気分屋で、人の話は聞かないし受け入れないし、偉そうに意見するわりに何もしないし失敗ばかり。
自分の出来なさ加減を自分ではない何かのせいにしたり、上手いこと言い訳を並べては大変なことや面倒なことはひたすら避けて何もしないでいられるようにしてきた。

変わりたいと言ってるくせして断固として変わろうとしないような人間だった。

 

こんなふうに過去を振り返って自分のダメさ加減を言い連ねてはいるけれど、落ち込んでるわけでも悲しんでいるわけではない。

まるで他人事のように「そういう人間だったなぁ」と冷めた目で見ている。
本当は、過去の自分にもいろいろ良いところはあったのかもしれないけれど、それを発見する元気や余裕はまだないのかもしれない。

今の自分は過去の自分よりもかなり”マシ”になってきた自負はある。
それでもまだまだネガティブな瞬間もあるし、気をぬくとすぐに自責したり自分の悪い部分にばかり目がいく。

 

でもまぁ、マシになってきているから、良いよ。
過去の自分からこれだけ変われたんだから、これからも変われるよ。

変われたということが、自信につながっているんだなぁと、そう思った。