自分の気持ちを言葉にして感情を整理することの効果について

思考垂れ流し

こんにちは。きしめんです。

何かにつけて自分の考えたことや感情を文字に起こしているわたしですが、苦しいことやもやもやした気持ちになったときは特に言語化を試みるようにしています。

仕事でしんどい思いをしていたときも、姉との二人暮らしのストレスで押しつぶされてしまいそうになったときも、祖父が亡くなったときも、自分の気持ちを素直に言葉にすることによって、気持ちの整理をしてきました。

今回は、そんな感情を言葉にすることによって得られる効果について考えてみました

自分を客観視して感情整理の糸口を見つける

もやもやを抱えている状態って、結構苦しいですよね。自分がどんな感情になっているのかがわかりづらく、どうしたらいいのかわからなくなります。唯一わかっていることといえば、抱えているもやもやをいち早く取り除きたい、ということくらい。

胸のあたりが重苦しく感じて、悲しいのか寂しいのかもよくわからないのに泣きたくなって、全部が嫌になる。そんな体験を何度もしたことがあります。この重苦しさをいち早く取り除たい。そんなときに、わたしは「感情の言語化」を試みています。

何が原因でもやもやとしているのか、どうして自分はふさぎ込んでいるのか。それをわからないことには、どうすれば気を晴らすことができるのかもわかりません。なので、まずは自分がどういう状態にあるのかを把握することが必要になります。

感情や思考の言語化をすることによって、自分を客観的に見やすくなります。それによって、モヤモヤの原因や正体が見えてきたり、解決策の糸口を見つけやすくなったりします。

そうでなくても、「得体のしれないしんどさ」ではなく「自分の○○という感情」なのだと、ありのままの自分の状態を受け止めやすくなると思っています。自分の状態を受け止めるだけでも、心が軽くなることはあると、わたしは考えています。

自分が何を抱えているのかをことばにしてみよう

自分が今どんな気持ちなのか、どんな感情を抱えているのか。それらをひとつひとつ解きほぐしていくイメージでとにかく言葉にしていくことで、自分が何を抱えているのかがわかっていきます

言葉にしにくいモヤモヤを、頑張って言語化してみます。

まずは、より近い表現はどれなのかを探して言葉にする。それだけで自分がどんな状態なのかの輪郭が見えてきます。例えば、悲しいのか、苦しいのか、悔しいのか、しんどいのか。場合によっては複数の感情が入り混じっていることもあるでしょうし、どの言葉もしっくりこないことだってあると思います。

感情ではなく身体的な感覚でもいいと思います。「頭が爆発しそう」「全身が重りに押しつぶされている」「肺に綿が詰まっている」などなど。

わたしの場合、単なる感情の形容詞が難しいときは、何かに例えようとすることが多いです。どす黒い何かがドロドロしているのか、視界を奪うような濃霧がかかっているのか、息苦しいくらい真綿が詰め込まれているのか、とにかく感覚に近いものを探して言葉にする。

一度言葉にして出してみると、「ちょっと違うな」なのか、「だいぶ近いな」なのかがわかるようになるので、そこからまた言葉を探していきます。そうすることで、私はいつも自分の感情に近い言葉を浮かび上がらせていきます。

的確に言い当てる必要はありません。ただ、わたしは自分が「何」で苦しんでいるのかを知るのに、言語化が便利だなと考えています。近い表現を見つけるだけでも、感情を言葉にすることでそのカタチが見えるようになり、自分がどんな感情を抱えているのかをはっきりとさせることができるからです。

感情を言葉にすることで、自分と向き合うことにつながる

そうは言いつつ、わたしにも時にはなかなか言葉にできない感情がありました。正確には、言葉に「したくない」感情です。それは、あまりに明確な嫉妬心でした。

わたしは、嫉妬心は自分の中で最も醜く汚らわしい感情だと思っていました。嫉妬心を言葉にすることは、醜く汚らわしいものに触れようとする行為です。

ドロドロのねばねばしたヘドロに喜んで触りたいと思う人など、そうそういないと思います。わたしにとって嫉妬心を言葉にすることは、ヘドロを素手で、両手いっぱいに掬い取るようなものでした。

なので、嫉妬心を抱えたときに、それを言葉にするのはとんでもなく勇気が要りました。

勇気を振り絞って言葉にできたのは、この感情を言葉にしないことには、自分は今までと何も変わらないと思ったからです。その時のわたしはとにかく、醜いものを抱えている状態から変わりたいと、心の底から望んでいました。その思いが、勇気につながったのかなと思っています。

勇気を出して言葉にしてみて以降、自分の中でドロドロの腐っていた嫉妬心を客観的に見ることができるようになりました。自分との距離を少し離して眺めることができるようになったことで、嫉妬心を抱えていても以前ほどのヘドロ感は抱かなくなりました。

頑張って言葉にしたものを自分でじっくりと読み返すことによって、「こんな感情を抱え込んでいたんだなぁ」と自分と向き合うきっかけにもなりました

おわりに:「言葉にすること=ヒトに伝える」ではない

言葉にする方法はいろいろあります。わたしのようにブログやSNSで発信してしまう方法もあれば、一人でノートに向かって書きなぐったり、誰かに口頭で話すというのも一つの方法です。

「文章書くの苦手」「考えてることを言葉に直すのが難しい」という人ももちろんいると思います。かく言うわたしも、自分は「文章を書くのが得意」だなんて思っていませんし、少し前まで「思考や感情を言葉にするのが得意」だなんて思っていませんでした。

でも、苦手なままでも、言葉にしてみようというのが大切なんだと思います。

自分の気持ちを言葉にするというのは、誰かに読んでもらうためのものではありません。文章の上手い下手は関係なくて、自分が今どんな気持ちなのかを、言葉として吐き出してみること自体が重要なのだと思っています。

また、1回で完璧に言葉にするのを目指す必要もありません。探り探りでよくて、「少なくとも喜びではないな」とかいう消去法でもよくて、なんなら到底言葉にできないものなんだと諦めてもいいと思います。

肝心なのは自分の感情に向き合い、何かしらのカタチで折り合いをつけること。それを叶える方法の一つが、感情の言語化なのかな、と思います。