自分の気持ちを言葉にして整理することの効果について

思考整理日記

こんにちは。きしめんです。

何か苦しいことやもやもやした気持ちになったときは言語化を試みるタイプのわたしですが、これまで幾度となく自分の感情を言葉にしてきました。

会社でしんどいときも、家でのストレスで押しつぶされてしまいそうになったときも、自分の気持ちを素直に言葉にすることによって、気持ちの整理をしてきたのです。

そんな私が感じる、感情を言葉にすることによって得られることを考えてみました。

 

自分が何を抱えているのかをはっきりとさせる

もやもやとしたままでは、自分がどんな感情になっているのかがわかりづらく、ただただふさぎ込むばかりになりがちです。

何が原因でもやもやとしているのか、どうして自分はふさぎ込んでいるのか。
それをわからないことには、もやもやとし続けるままです。

自分が今どんな気持ちなのか、どんな感情を抱えているのか。
それらをひとつひとつ解きほぐしていくイメージでとにかく言葉にしていくことで、自分が何を抱えているのかがわかっていきます。

悲しいのか、苦しいのか、悔しいのか、しんどいのか、的確に言い当てるのではなく、より近い表現を探して言葉にするだけでも違います。
複数の感情が入り混じっていることもあるでしょう。

言葉は感情にある種のカタチを与えてくれるので、感情を言葉にすることでそのカタチが見えるようになり、自分がどんな感情を抱えているのかをはっきりとさせることができるのです。

 

自分の気持ちを客観視し、自分と向き合うことにつながる

そうは言いつつ、わたしにはなかなか言葉にできない感情がありました。
正確には、言葉に「したくない」感情がありました。

それが、嫉妬心です。

私にとって、嫉妬心は自分の中で最も醜く汚らわしい感情だと思っていました。
嫉妬心を言葉にすることは、その醜く汚らわしいものに触れようとする行為です。

ドロドロのねばねばしたヘドロに喜んで触りたいと思う人などいないでしょう。
私にとって、嫉妬心を言葉にすることは、ヘドロを両手で掬い取るようなものでした。

だからなかなか言葉にするのはとんでもない勇気がいりました。
結果的に言葉にできたのは、この感情を言葉にしないことには自分は何も変わらないと思ったからです。

今では、言葉にして良かったなと思っています。
言葉にすることによって自分の中でドロドロの腐っていた嫉妬心を客観的に見ることができるようになったのです。

自分との距離を少し離して眺めることができるようになったことで、嫉妬心を抱えていても以前ほどのヘドロ感は抱かなくなりました。

ちなみに、嫉妬心を言葉にしたものはこちらです。

ずっと向き合ってこなかったもの|きしめん|note
本当に自分が寂しがり屋なのだなと思う。 いつも誰かと一緒にいたいけれど、でも、ずっとしゃべっていたいわけではない。 一人暮らしの時でさえ、いつもつながりを求めていたような気がする。 今は姉と暮らしていて、時折「嫌だな」と思うこともあるけれど、でも、人の気配で安心する部分も確かにあるんだろうなと思う。 姉は私が居ること...

 

言葉にしたものを自分で読み返すことによって、「こんな感情を抱え込んでいたんだなぁ」と自分と向き合うヒントにもなりました。

 

おわりに:言葉にすること=ヒトに伝えることではない

言葉にする方法はいろいろあります。

私のようにブログやnote、SNSで発信してしまう方法もあれば、一人でノートに向かって書きなぐったり、誰かに口頭で話すというのも方法の一つでしょう。

「文章書くの苦手」「考えてることを言葉に直すのが難しい」という人ももちろんいるでしょう。

でも、苦手なままでもいいと思います。
上手い下手は関係なくて、自分が今どんな気持ちなのかを、言葉として吐き出してみること自体が重要なのだと思っています。

もやもやが晴れなかったり、気持ちが落ち込んでいるとき、嫌なことを忘れるのに一生懸命になるのも手ではありますが、勇気をもって自分の気持ちを見つめ、言葉になおしてみるのはいかがでしょう。