とある日のメモ『「すごい人でいたい」ダメな自分を受け入れることができずに悩んだ話』

メモログ

 

人を褒めちぎるなんて、しかも本人を前にして直接伝えるなんて、そんなの今までしてこなかったな。たぶん、嫉妬心の方が強かったから。

私の方がすごいって思いたくて、誰かを褒めるなんて「良い人な私」を見せるためのパフォーマンスだった。

 

小学校時代がそうだったかも。内心で「私ってすごくない?」と思い続けて、他の人より私の方がすごいと信じていた、思い込んでいたなぁ。

けど中学時代から段々と、私より勉強ができる人がいて、私よりスポーツできる人がいて、私より歌が上手い人がいて、私より絵が上手い人がいて……私ってすごくないんだなって、じわじわと思い知らされてきた。

(書いていて思ったのだけど、私は容姿に関しては最初から諦めていた気がする)
(私より可愛くて人気者な子は、幼稚園の時から存在していたし、見た目の可愛さでは敵わないんだと、子供ながら無意識に持っていたのかもしれない)

 

高校時代まで、「私はすごくない」ってことを認められてなかった。
どこかでまだ「しっかり者な私」「(周りよりも)勉強ができる私」「まとめ役な私」とか、そういうところに縋っていた。

事実として私より成績が良い人なんていっぱいいたし、まとめ役なんて私がいなくたってやってくれる人や得意な人はいた。

でも、私の中で、すごくなければ存在価値が、存在意義がないって、何故か思い込んでいたから。
「どうすればいいんだろう」っていう漠然とした、けれどそれは大きな不安に飲み込まれるのが怖かったのかもしれない。(当時はそんなこと考えもしなかったけど)

 

大学時代は「どうすればいいんだろう」っていう不安に、まさに飲み込まれていたと思う。
「私って、全然すごくない」って、思い知らされて愕然としていた時代だったんだなぁ、きっと。

何か衝撃的な出来事があったわけじゃなくて、ただジワジワと、まるで侵食されていくような感覚で、私は、私が思っているよりもすごくないんだということを思い知った。

このジワジワとした侵食は、中学時代から始まって、大学時代で侵食され尽くした感じかな。
そこから自暴自棄気味だったんだなぁと今になって思う。

何をしても、どう頑張ったところで、私はすごくなれないって、勝手に諦めていたくせに、「すごい人になりたい!」という欲求ばかりが強かった。
だからいろんなことに手を出しては途中でやめる、を繰り返していた気がする。部活も、勉強も、バイトも。

勿体無いことしたなぁ…

 

就活が本格的に始まっても、私はすごい人になりきれない人間なんだという思い込みがガチガチに固まっていたから、アピールできることが無いなぁと思っていた。

だから人が良ければ職種なんてどこでもいいや、と思って人が良さそうな今の会社に入った。

そこでも失敗ばかりでさらに自尊心を失っていったりしたな。

でも部署を異動して、私よりも確実に下だと勝手に決めつけた社員さんの存在があって、「この人よりはマシ。この人よりはすごい」って思って、気が大きくなった。

たぶん、「この人よりすごい」っていう、「私はすごい」と思える感覚が久しぶりすぎて、テンション上がっちゃったのかもな、って今振り返ると思う。
調子乗りすぎて先輩にガチトーンの注意を受けてまた凹んだ。やっぱり私はすごくなかった。
(ブログはこの頃から書き始めたなぁそういえば)

仕事で不満が募っては愚痴を言いまくって、私はまた「どうすればいいんだろう」に飲み込まれていた。

一人暮らしを始めてから、「どうすればいいんだろう」を1人で悶々と考えることが多くなった。
不安から脱したかった。

(最初の話に戻ると、私はこの時までずっと、誰かを褒めるということはほとんどしてこなかった)

 

そんな折に、出会うことができたのがライフエンジンだった。

まだ入って4ヶ月半しか経ってないけど、私の意識は劇的に変わった。

「すごくなくていいんだ」
そのことに気付かせてくれたのが、ライフエンジンだった。

すごくなくても、私は私で、そのまま居ていいんだと、繰り返し繰り返し教えてくれた。
むしろ「ここがすごいじゃん!何言ってんの!」みたいな、私がずっと中途半端で役に立たないと思っていた持ち物を、それは強みなんだと教えてくれた。

すごい人になりたいっていう気持ちは、消えたわけじゃない。
でも、以前のように縋りついてなきゃいけないほどには強くない。

批判的・否定的な言葉は異常に怖いけど、褒めてもらえるようになって、私は私でいいんだと自分で認められるようになってきた。

これって本当にすごい変化だ。そりゃあライフエンジン好きになるよな、って感じ。

本当に、本当に救われたんだよ。
ありがとう。

(2018年10月21日のメモ)