限られた時間のなかで、わたしは何をしているか?

思考の書き出し(メイン)

「時間がいくらあっても足りない」、という言葉があるけれど、その言葉を出す前に、「限られた時間を無駄なく使えているか?」を考えたい。

今、自分の時間の大半を使って取り組んでいることが、本当に自分にとって大事なことなんだろうか?
大事じゃないことに、時間を使いすぎていないだろうか?

 

やりたいことが見つからなくて、なんとなく流れに乗ってやってきた場所で、やった方が良さそうなことをやって、その場を乗り切る。

そうやって生きてきた。

 

幼い頃、私はちゃんと夢を持っていたと思う。
でも、成長するにつれて、「ああ、叶えるのは無理なんだな」って、勝手に諦めるようになった。

私より頭が良い人がいて、私より運動できる人がいて、私より技術が優れている人がいる。
私よりずっとスゴイ人がいることを知って、私は少しずつ自信を失っていった。

「私なんて、結局こんなものなんだ」
「私よりスゴイ人なんていっぱいいる。1番になんてなれない」

そんな諦めを繰り返しているうちに、私は、何をやりたかったのかわからなくなった。

やりたいものを確かに持っていたはずなのに、いつの間にか見失っていた。
(むしろ、自ら捨ててしまったのかもしれない)

 

「やりたいことがわからなくなった」、ではなく、「やりたいことが見つからない」とずっと思いながら学生時代を過ごした。

大学生になっても、「見つからない」まま、就職を考えるようになった。
つらくなければどこでもいい。そう思って、最初に内定を出してくれた会社を選んだ。

やりたいことは見つけてないけど、仕事はできた。好きでもない電話を受けて、得意でもない取次ぎをした。
唯一、自分の手元にある作業を、自分で工夫しながら淡々とこなすのが楽しかった。

 

でも、好きでも得意でもないことを積み重ねているうちに、ミスをするようになり、仕事がつらいと感じるようになった。

どうして私はダメなんだろう。
自分を責めては泣いていた。みじめだった。情けなかった。恥ずかしかった。

そのうち、何のために仕事をしているのかわからなくなった。

「私は、こんなことをしたかったんじゃない」
じゃあ、私は何がしたいんだろう?

 

ある時、自分の「やりたい」という気持ちに素直になっても良いのだと学んだ。

「あれが食べたい」「これが見たい」「こんなのが聴きたい」などの、些細なことでも構わない。
「やりたい」と思えたことが、間違いなく「やりたいこと」なのだと学んだ。

そしてそれらは、素直に「やりたい」と言っていいし、実際にやるためにどうすればいいかを考えて、実行してもいいのだ。

 

私は、幼い頃に思っていた夢を思い出した。きっとそれも、やっていいことなのだ。
ただ、私は周りのスゴイ人たちを見て、敵わないと思ってしまった。

そうじゃない。

スゴイ人たちと比べる必要なんて、どこにも無かった。
私は、私がやりたいと思ったことを、ただやれば良かったんだ。

それを、どうして、まるでやっちゃいけないかのように思っていたのだろう?

私は、私に素直であっていい。

 

私のやりたいことは何だろう?
それ叶えるためにはどうすればいいのだろう?

いつ、どこで、誰と、何をすればいいだろう?
それにはどのくらいの時間が必要で、どんな手段を取ればいいのだろう?

 

時間は誰に対しても、等しく与えられている。
時間を止めることはできないし、時間は有限である。

だとしたら、今、自分に与えられた時間を、どのように使っていくべきなのか?
限られた時間を最大限生かせているのか?

 

やりたいことを見つけた今、私はそれを考えたい。