毎日更新の義務感から離れ、「表現」としてブログを書いていく

雑記

こんにちは。きしめんです。ご無沙汰しております(笑)

1月3日にフューチャービジョンを投稿してから2週間ほど日が空いてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

毎日更新していた昨年から一変、こうして更新に日が空くようになったのには理由があります。

今回はブログに対する気持ちの変化についてお話しできればと思います。

情熱というエンジンがない

わたしはこれまで、「ブログを書いてお金を稼いでみたい!」という気持ちを抱えてブログを書いてきました。可能であれば広告収入で収益が発生すると嬉しいな、くらいの気持ちでした。

そのために、更新頻度を上げたり検索に引っ掛かるようにことばを意識したりしたこともあります。毎日更新もその実践の1つでした。

でも、他のたくさんのブログを読んだり見たりしてきて、気づいたことがあるのです。

「あ、わたし、ブログを読んでもらうことに必死になれない。心を熱くすることができないや」

当たり前のことかもしれないですけど、世の中にはブログで収益を上げることを一生懸命頑張っている人がいて、そのための努力を惜しまない人がいて、ブログを運営していくことに心を熱くする人がいるんですよね。

そういった人たちは、ブログについてたくさん勉強して、どうしたら多くの人に読んでもらえるかを研究して、自分の発信をより良くしようと工夫をこらしているわけです。

そこに思い至ったとき、わたしは「あれ、わたしにはできないかも」と思いました。

文章を書いているからと言って、ブログを書いているからと言って、わたしは「より多くの人に伝えたい」とか、「知らない人に知ってもらいたい」とか、そういった気持ちを持っているわけではないんだということに気づきました。

アクセス分析も、SEO対策も、収益化を目指すこと自体も、情熱というエンジンなしに行うことは難しく、そしてわたしはそのエンジンを持っていないことに気づいたのでした。

より心が熱く燃えるのは

わたしの心を熱くするのは誰かに何かを知ってもらう・伝えるための「発信」ではなかったのだと気づいて、だとしたらわたしの情熱はどこにあるのかと考えました。

わたしの情熱、それは、「自分の内面を『表現』すること」なのかもしれません。

「発信」と「表現」って何が違うの?というところから少し整理してみましょう。

Weblio辞書ではこんな感じで意味が書かれています↓

<発信>
 情報や郵便物などを、外部に向けて送り出すこと。また、電話やラジオ、電信などを通し、音や電波を発することを指す。自分が持つ考えや意見を、複数の人数に伝えようとするときに「情報を発信する」という形で用いられることがある。
<表現>
 心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。

つまり、「発信」とは誰かに伝えようとする行為で、「表現」は伝えるというよりもカタチにする行為なのかなと、ここでは考えています。

そして、わたしの情熱は「伝える」ことではなく、「カタチにする」ことだったんだ、と気づいたのです。

「表現」としてのブログ

考えてみたら、わたしはこのブログを始めるときにこんなことを書いていました。

わたしという“個人”をそのまま見せるような、自分を表現したブログにしたい

そう、最初から「表現したい」って思っていたんです。それがどこからか、「伝えたい」にすり替わってしまっていました。

わたしのなかで、「ブログは伝えるためのもの」だという考えが強く存在していて、「ブログを書くからには何かを伝えなきゃ」と思いこんで、これまで「伝える」ことばかり考えていました。

でも「伝える」ことにわたしの情熱はなくて、やがてブログを書くことがなんとなくしんどくなってきて、毎日更新もどこか義務のように感じるようになりました。

義務になってしまうと楽しい気持ちがどこかへ行ってしまい、記事を書く気になれなくて、ブログを書くことから離れたくなってしまうようになりました。

なのでこれからは、「表現」としてブログを書いていこうと思います。

更新頻度にはこだわらず、ただ「自分の内面を表現するもの」としてのブログにしていく。表現すること、カタチにすることにこだわっていく。

そういう意味で、「めんぷっと」はわたしの作品のひとつとして、大切に大切に育てていきたいと思います。

 

 

 

ネットの海にぽつんと置かれ、時折誰かの目にとまる。
目にとめてくれたなかの誰か、ほんの何人かの心にそっと残る。

そんな作品になりますように。

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