こんにちは。きしめんです。
今回、過去の自分が家族に関して考えていた時のメモを見つけて、「そういえば、自分の進む道をこうして見つけていったんだっけなぁ」と思ったので、ここにも置いておこうかと思います。
わたしと家族
わたしは無意識に自我を押し殺してきたのかもしれない。
幼い頃から、家庭において母の言うことは絶対だった。そこに恐怖や反抗心などは無く、それが普通のことだと受け入れていたし、母の言うことはいつも正しく、それに沿っていれば大抵のことは問題なくこなせていた。母に絶対的信頼を置いていた、と言い換えることもできるだろう。
代わりに、わたしはあまり自分の意思・意見を出さないようになっていった気がする。
姉は時に高慢な態度でイラつくけれど、姉は母とほぼ同じ理論を持っているから、何を言おうとも姉のほうが正しいし上手くいく(ように思っている)。だから姉の言うことも最もだと思うし、わたしから姉に何か言うことはほとんどない。理論を持たないわたしが何を言ったところで、口で負けるからだ。
父はあまり物言わぬ人だけど、自分を含めみんな好きに生きればいいというスタンスだ。だから父は自分のお金で買った家で好きなように過ごし、好きなものを買って食べ、趣味にお金を使って過ごしている。
自分も好きなように生きるから、他のみんなも好きに生きれば?と言う感じなので、良くも悪くもあまり干渉してこない。
書いていて思ったけれど、わたしは父のような生き方をしたいのかもしれないな、と思った。
父は趣味や好みにお金を使って、好きに生きているように見える。
仕事に関してはたまに愚痴をこぼすけれど、好きなことをやるための努力は絶え間なくやってきたのだろうと思うと、本当にすごいなと尊敬する。実際、かつてはこう働いて趣味の時間を確保した、という武勇伝を本人から何度も聞いている。
話を戻すと、わたしはわたしの意志より他の人が正しいのだと、家庭の中でずっと思い込むようになっていったような気がする。
反面、母や姉の理論を正しいと思っていたからこそ、外でその理論を披露したかったし、わたしが正しいと思おうとしていた気がする。
家庭では得られない「わたし自身を認めてもらえる感覚」を、無意識に求め、擬似的にでも得ようとしていたのかもしれない。
わたしとして生まれてから25年。ここに来て、わたしはわたしの理論で生きたいと思うようになった。
絶対的だと信じていた母の理論からの卒業を、無意識に求めているのかもしれないと思うと、なんだか、怖いような、寂しいような、複雑な気持ちだ……
理想は父の姿だった
この世に生を受けて25年。ここにきて初めて、父の偉大さというか、すごさを知った。
父の趣味はバレーボール。これは学生時代から変わっていないらしい。社会人になってからも趣味を辞める気はまったくなく、むしろ趣味がやりたくて働いていた。
だからこそ、仕事のせいで趣味の時間が取れないことは絶対に嫌だと、趣味の時間を確保するにはどうすべきかを考えて、徹底して実践していた。
まず、昇進は始めから一切考えていなかった。責任ある立場になったら、趣味の時間が取れなくなるから。
営業時代は、とにかくお客さんに気に入られた。足しげく通ったり、着実に信頼を積んで。「○○(わたしの父)さんだからお願いするよ」と言われるまでになり、平社員にして会社にとって頭の上がらない存在になった。
出向時代は、まずは出向先のパートさんを味方につけた。実行部隊のパートさんを味方につけたら、自分の頼み事がすんなり通るようになり、仕事のしやすい環境を整えた。
会社側から何の文句も言わせないような人間関係を構築し、「じゃ、今日バレーボールあるんで」と平然と言ってのけて退勤する。とんでもねぇな、と思う。
好きなことをやるために、どうすればいいか。ただそれだけを考えて、戦略を練って、徹底して実行してきたのだ。30年超、それを貫き続けた父……すごすぎなのでは………
戦略は違えど、わたしが理想としている生き方はこれだ、と本当に思う。好きなことのために働いて、好きなことを好きなようにやって。
どうして今まで、気づかなかったんだろう。こんな近くに、理想が転がっていたなんて。父の生き方を見習って、わたしも理想に近づけるよう、徹底したいな。そう思った。
おわりに
このメモを書いたときは、実は父が理想像だったと気づいて「世紀の大発見だ!」くらいの衝撃でした。
家族のことは意識していないとばかり思っていたんですよね。
自分の生い立ちって価値観などに大きく影響しているんだなぁって視野が広がった瞬間でした。