こんにちは。きしめんです。
以前、週3日パートのために自転車で会社までの道のりを走っていたのですが、そのとき気づいたことがあります。
行きは家から会社まであと半分の距離に来たところで「もうちょっとだ」と思うのに、帰りは会社から家まであと5分の1くらいの距離に来てようやく「もうちょっとだ」と感じるのです。
同じ道、同じ距離なのに、どうして「もうちょっとだ」と感じる地点が違うのでしょうか?
通勤を繰り返すたびにその答えを考えていたのですが、初めて疑問に思ってから3週間ほど経ってようやく見つけました。
今回はその答えについて書いてみようと思います。
通勤路は半分真っすぐ、半分ごたごた
まず、通勤でどんな道を通っていたのかを考えてみました。
わたしが通勤で通っていた道は、半分は何回も曲がり、信号や踏切を渡り、狭い道を通ったりします。もう半分は、ひたすら真っすぐ進んでいくようなルートになっています。
行きは、前半にごたごたといろんな道をかいくぐって、後半にひたすら真っすぐ走ります。
帰りは、前半にひたすら真っすぐ走って、後半にごたごた道をかいくぐります。
そこで気が付きました。行きは、あとはひたすら真っすぐ行くだけとなった時に「もうちょっとだ」と感じ、帰りは後半のごたごたが落ち着いたころにようやく「もうちょっとだ」と感じるということに。
つまり、残りの距離の長さはあまり関係なくて、残りの道がどれだけシンプルかどうかによって「もうちょっとだ」と感じる地点が変わるのでは、と思い至ったのです。
「もうちょっと」って、何が?
「あともうちょっとだ」というのは、実は残りの距離ではないのかも、と考えたとき、では何が「もうちょっと」なのでしょうか?
わたしは、自分の使う意志力の量なのかもしれないな、と思います。
例えばごたごたしている道は、とにかくいろんなことに気を配ります。
大通りの信号を渡る時、多くの人が通る踏切を渡る時、狭いのにスピード出した学生がたくさんいる道を通る時、大きなトラックが頻繁に出入りする駐車場の前を通る時……などなど。事故を起こさないように、歩行者やすれ違う自転車や車などに気を付けながら道を進むので、観察したり予測したり選択したり判断したり、そして道を間違えないようにしながらなので、思考的には大忙しです。
一方で、ただひたすら真っすぐ行く道は、まず道順をさほど気にする必要がありません。また、私が通っている道には大きな橋があり、橋を渡っている間はすれ違うことと追い越されることにだけ気を付けていれば、横から人が現れることも、車が曲がってくることもありません。
つまり、ごたごた道と比べて気を配るものが格段に少ないのです。
ごたごた道は意志力をめちゃくちゃ使うのに対し、まっすぐな道はそれが少ない。残りの道に対して使う意志力の量が少ないと思える時に、「もうちょっとだ」と感じるのだなと気が付いたのでした。
何事もシンプルであれば使う意志力は少ないのでは
使う意志力の量が少なくて済むと「もうちょっとだ」と感じるというのは、言い換えれば使う意志力の量が少ないとわかればやる気が出やすいってことなのでは…( ゚Д゚)?
とんでもなく大変だろうと予想されることってなかなかやる気が起きなくて手が付けられなかったりするけれど、ちょっとのことで終わっちゃいそうだと思うと「すぐ終わるし、これぐらいならやっちゃうか」って思えたりします。複雑なことをやろうとするときよりも、シンプルなことをやろうとするときのほうが手を付けやすかったりします。
そういう意味で、大きなタスクを細分化して作業レベルに落とし込むって、めっちゃ有効なのだなと改めて思いました。
また、例えば、いわゆるマルチタスクで複数の物事を同時並行で進めていくと複数のことを同時並行で考えることになるので、それなりの意志力を使います。
一方で、シングルタスクで一つのことに集中して取り組むようにすると、一つのタスクについて考えればよい状態になるので、マルチタスクよりも意志力を使う必要がなくなったりします。
使う意志力の量が少ないとラクに感じるので、手が止まることも少なくなるし、長い時間作業することができるようになるのかもしれません。
長くなりましたが、今後何かに取り組むときはできるだけシンプルに考えられるようにして、意志力の節約を心掛けると作業が捗りやすくなりそうなので、気を付けていきたいと思います。