わたしは自分のプライドに泣かされた

雑記

こんにちは。きしめんです。

過去に書き並べたことばのなかで「これはブログに置いておきたいな」と思ったものをそのまま載せる「わたしのことば」シリーズです。

今回は、会社員だったとき仕事中に泣き出してしまったときと、それを思い返したときのことばです。

プライドが邪魔をする

2018年8月21日、会社員の時。仕事中に泣いた日。

今日は午後に涙が止まらなくなってしまい、急遽上司に助けを求めに行った。軽くパニック状態だったと思う。「どこにどう助けを求めたらいいかわからないです」と言った気がする。本当にそうだった。何をどうしたらいいのかわからなくて、「どうしよう」としか考えられなくなって、涙止まらなかった。

上司が多方面に掛け合ってくれて、人員増やしてなんとか対応した。助けを求めて良かったと心底思った。そこで気付いたのは、わたしは助けを求めることに自分でブレーキをかけていること。それが何故なのか、なんとなしに考えたけど、端的に言うとプライドが高いのかなと思った。

わたしは助けを求めた結果、どう思われるのか、どう評価されるのかを物凄く気にしているらしい。助けを求めに行って、冷たい態度を取られたり、嫌な顔されたり、断られたりすることに、異常に怯えている。実際そんなことないのに。助けてくれる人たちばかりなのに。

でもその恐怖感のせいで、助けを求める行為に物凄く勇気・エネルギーが必要になっている。今日も、上司に泣きつくまでに自分の中で葛藤してた。泣きついていいのか、ずっと考えてた。今は、あそこで助けてくださいと言えた自分を褒めてあげたい。

仕事量が多くて到底さばききれなくて、でもヘルプを呼ぶのをどこかタブーに思っていた。

社内での不満をぶつけて身勝手なわがままを言っていた時期だったから、「わがまま言うくせに仕事できてないじゃん」と思われるのが嫌で、ヘルプを呼びたくない気持ちがあった。「仕事ができているうえで、会社に意見している自分」でありたかった。

でも、意地を張り切れずに泣いて、助けを求めた。

結果的に、もっと早く助けを求めていれば良かったな、と思った。

受け取ったギフト

会社員時代、「人にどう思われるのだろう」という周りからの目、評価、印象をとにかく気にしていた。会社で働いているからには、やっぱりそれなりでも評価されたかったし、仕事ぶりを認めてもらいたかった。

でも、人に認めてもらう前に、相手を批判して、否定して、意見を押し付けようとしてしまった。
「自分が仕事できないのは、会社のせいだ」と言ってしまっていたのだ。

だから「自分の思うようにやらせてくれ」とわがままを聞いてもらって、結果、盛大に転んで大泣き。本当に子供だったなと思う。

わがままを言う前に、もっと自分と向き合ってみればよかった。もっと自分で解決できることはないか、改善できることはないか、考えてみればよかった。それか、何も考えず上司の言うことを聞いてみていればよかった。

これらはすべて、「いま思えば」の話である。

当時のわたしは、自分のことで精いっぱいで、必死だった。わがままだとしても、意見を言わなければ何も変わらないと思っていた。だから会社に意見して仕事を任せてもらうようにしたし、会社もその要望を聞き入れてくれた。寛大な対応だったように思う。

でも、結局一人では対応しきれなくてボロボロに泣いたわたしを、周りの人たちはどう思ったのだろう。

当時、会社全体が忙しくて、他部署に迷惑をかけちゃいけないからと、頑なにヘルプを呼ばないようにしていた。苦しいなかで、人に迷惑をかけたくない思いも確かにあったのだ。

でもやっぱり、「頑張っている自分」を捨てきれなくて、抱え込んで、最後には決壊してしまった。

変な意地なんて張らなければよかったのに。

新米社員のわたしが経験も積まずに意見を通したところで、成功することなんてほとんどなかったんじゃないのだろうか。まずはじっくり上司や経験者の話を聞いて、真似をしてみたら良かったんじゃないだろうか。

その人そのものが嫌いでも、仕事は仕事だと割り切って話を聞くことができたなら。わたしに、嫌なことに足しても少しでも何かを得ようという姿勢があったなら。

このつぶやきは無かったのかもしれない。

人の話を素直に聞いて、実行に移すこと。
苦しいときこそ、なるべく早く助けを求めること。

2018年8月21日、わたしは2つのギフトを受け取った。

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