わたしはなぜ文章を書くのか

雑記

こんにちは。きしめんです。

今回は思考の垂れ流し記事となります。考えたことをつらつらと書いていきます。

わたしの文章の良いところはどこなのだろう。ふと、そんなことを考えます。

わたしは、文章を書くのが上手いわけではありません。文章で伝えるための技術を勉強したことはないし、日本語も正しく使えていないことが多いです。

また、書いている話が特別面白いわけでもないと思いますし、面白く読めるような書き方も知りません。

それでも「読みやすい」と言っていただけることがあるので、見るに堪えないほどひどい文章、といったこともないのだと思っています。

おそらく、話しことばに近いカタチで書いているのもあって、読んでいて頭に入りやすいのかもしれません。

では、文章を書く技術を身につけたらどうだろう、と考えます。

でもその前に「そもそもどうして書くのか?」を考えなければならないような気もしています。

わたしは自分の思考や感情をことばで表すのが大好きです。大好きを通り越して、わたしは自分の内面をことばに表すのが当然なこと、自分にとって自然なこととなっています。

自分の内面を文章にしない、ということを考えたことがありませんし、おそらくこれからも考えることができません。そのくらい、わたしにとって書くことは当たり前のことなのです。

それでも「なぜ」を続けていくと、ひとつの心当たりにぶつかります。

わたしは、わたしの感じたこと、考えたこと、思ったこと、わたしの内面の動き全てを知ってほしい。そういう思いを抱えているのだと。

さらに「なぜ」と問いかけてみます。わたしはなぜ、わたしの内面を知ってもらいたいのか。

おそらく、わたしは自分の内面の動きをとても面白いものだと捉えています。だからこそ、誰かに教えたくなってしまうのです。

とても感動した舞台や映画を見たとき、とても興味深く面白いものを目にしたとき、その瞬間にどれほど感動したのかを誰かに話したくなるときってありませんか?

わたしは、こんなに面白い自分の内面の動きを、人と共有せずにはいられない。そんな感覚なのだと思います。

だからわたしは、まるで息をするように文章を書く。そういう人間なんだと思います。

そしてここまで考えてようやく、わたしにはちゃんと文章を書く理由があったのだと気づけました。

わたしにとって当たり前だったことを、より上手くやっていくための方法が、書く技術だったんですね。

日常的に当たり前に行なっていることをこれ以上上手くしようとはなかなか思えなくて、技術を身につけるとか練習するとかっていう発想がありませんでした。

たとえば、普通に歩ける人が(何か特別な目的もなく)もっと美しく歩くための練習をしようとはなかなか思わないのと同じように、もっと上手く文章を書こうとは思いませんでした。

でも、自分の内面をことばにすることを当たり前のこととしているのは、ひとつの才能なのでは、と思います。息をするように考えたことを文章にしているのって、ゼロではないと思いますけどなかなかいないのではないでしょうか。

その才能に技術を付け加えたら、何か素晴らしいものが生み出せるのでは、なんて。

わたしは、わたしが文章を書く理由を見つけました。そして、これからさらに上手く書いてみたいと思いました。

こんなに面白い自分の内面をどうにかして知ってもらって、一緒に面白がっていきたい。そのために、書く技術を学ぶのはありですね。

そしてまた、「書く」以外のことで伝えていくことも考えてみようと思いました。話すのか、歌うのか、身体を動かすのか、それはまだわかりませんが、今後いろいろ試していけたら良いな。

わたしはこれからもきっと、わたしの内面をことばにしていくことでしょう。

それらのほんの一部でも、どこかの誰かに伝わってもらえたら、きっと嬉しいことだなと思います。

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