こんにちは。きしめんです。
わたしが人生で初めて身近な人の死を体験したときの話、完結編です。
前置き
この記事は、わたしがオンラインコミュニティ内のSNSで書いた当時の投稿を元にしています。
ほぼ編集せずにそのまま載せているため、そのまま読むと一部前後のつながりが分かりづらい点があります。
見出しタイトルの日付は、本文を書いてSNSに投稿した日付です。
1日に何度も投稿している場合は、投稿ごとに小見出しをつけています。
前・中・後の全三編となっています。(今回は後編です)
前編↓

中編↓

4月17日:お別れ
控室
母方の祖父のお別れ会(告別式)が行われた。
葬儀場に着いて、コロナの影響もあって検温してから会場に入り、お線香を焚いた。祖父の笑っている写真と、たくさんのお花。そして白い棺に納められた祖父がいた。まるで眠っているような顔だった。
控室で叔父夫婦と祖母に会った。大阪に住んでいる叔父夫婦はここ数日祖母の家に泊まっている。
祖母は前回会ったときよりもさらに耳が遠くなっているように感じた。思いのほか落ち込んでいる様子はなかったけれど、時折とんちんかんなことを言っていて心配になる。
祖父がいなくなって、叔父夫婦が大阪に帰ったら祖母はどうなってしまうのだろう。
控室で、前日に見つかったばかりの祖父から祖母への手紙を見せてもらいながら、祖父の話をきいた。
祖父はとても几帳面な人で、火元の始末や戸締りなどにとてもうるさかった。お役所の手続きなどはすべて祖父が行なっていて、祖母にそういったことをやらせたことがなかったそうだ。
生前、祖父が母に「自分に何かあったら、最初にどこに電話するんだ」と尋ねたらしい。それから紙に『まずは119番、次にK子(母)の携帯…』と言った感じで書き出したという。家の電話横にも、何かあったときに連絡する先の電話番号が箇条書きにされていたメモがあったらしく、祖父はとにかく遺される祖母のことを心配していたのだとわかる。
そういえば、祖父は自身の手帳に毎日毎日、ぎっしりと記録やメモを書くようなマメな人だったな、と思った。
お別れ会
式の流れの説明を受けて、お別れ会が始まった。
お腹に赤ちゃんを抱える従姉は、コロナを警戒して会場へは来られなかったので、夫婦揃って大阪からライブ中継での参加だった。
司会進行の話し方がとても悲しげで、少し恨めしかった。明るくたのしく、とはいかないまでも、そんな悲壮感を煽らなくてもいいのにな、と思った。でも、それはもしかしたらちゃんと悲しめるように、涙を流せるようにとの配慮なのかもしれないと思い直した。
ひとりひとりお焼香をあげて、その後に一言ずつ言葉を贈った。普段涙を見せない母の声が震えているのを聞いて、涙が溢れた。
わたしは、ちゃんと言おうと思っていた言葉があったはずなのに、前に出た途端真っ白になってしまった。祖父に運転の練習に付き合ってもらったことを思い出した。せっかくたくさん教えてくれたのに、全然活かせてなくてごめんなさい。たくさんのありがとうと、お疲れ様を込めた。
棺に、おまんじゅうや大福、ビールを納めて、最後にみんなで花を入れた。白や紫の花に覆われていく祖父は、いままで知らなかったけれどこんなに花が似合う人だったのだなと思った。
最後に触らせてもらった顔はとても冷たくて、額はつるつるしていて固かった。少しだけ眉間にしわが刻まれているのが、いつもしかめっ面をしていた祖父らしいな、と思った。
ただ眠っているだけのような安らかな顔なのに、呼吸の音もなく、胸が上下に動く様子もない。祖父は本当に動かない人になってしまったのだな、と頭の遠いところで漠然と思った。
喪主をつとめる叔父がお別れの言葉を述べた。
2か月ほど前、突然祖父から叔父夫婦に手紙が届いた。その時にはすでに、祖父は自分がもう長くないことを悟っていたのかもしれない。叔父はその手紙の返事を書いた。お別れの言葉で、叔父は泣きながらその手紙の返事を読み上げてくれた。叔父と祖父との、言葉にならない関係性が垣間見えるようで、また涙が溢れた。
火葬場
出棺し、火葬場へ移動。葬儀屋さんが用意してくれたマイクロバスに揺られながら、わたそは祖父との思い出を振り返っていた。
心の中で、祖父に「またね」と言いそうになった自分がいた。「また」とはいったいいつのことなのだろう。祖父はもういないのに。
自分がまだ祖父が死んでしまった実感を持てていないことがわかった。明日にはいつもの座椅子に腰かけて、一緒にお茶を飲めるんじゃないかとすら思うほど、祖父のいる空間が容易に想像できた。
わたしはまた静かに泣いた。
火葬場で、焼かれる場所へ入れられていく棺を見送った。あの棺の中に祖父がいることを、頭の中でわかっているのに、どこか現実味がわかなかった。今から焼かれて骨になるのだとわかっているはずなのに、まったく現実のこととは思えなかった。
見送り終えて、収骨の準備が整うまでの1時間、待合室で軽食を取った。時間はもうお昼で、お腹が減っていた。おにぎりとサンドイッチを食べながら、みんなで雑談をする。
耳の遠い祖母が話についていけていないことが気がかりで、でも常にそれを気遣うことができるほどの元気はなかった。
話をしていると1時間はあっという間に過ぎて、収骨の時間となった。焼き場から取り出された骨を見て、それが祖父だとは思えなかった。これは人間の骨であって、祖父とは違うもののように感じた。
祖父の骨はとても丈夫で、きれいなカタチで残っているものが多かった。顎も耳も、頭蓋骨の丸みも、キレイだった。しっかりした骨は焼いてもカタチが残りやすいらしい。焼かれても骨のほとんどが残るような健康体で死にたいと思った。
太くて大きな骨を、姉と二人で箸を使って骨壺に納めた。思ったよりも硬くて軽かった。全てを骨壺に納め終え、葬儀場に戻る。
マイクロバスのなかで、祖父がいない想像をしようとして、上手くできなかった。
葬儀場に戻り、荷物を回収して、式は終了。会場を後にして、祖母の家に祭壇を設置してもらい、あとは家族で食事をして、その日は終了。
長くて、あまり現実味の無い1日だった。
おわりに
わたしはお葬式に参列すること自体が初めてでした。
誰かの死というものに立ち会ったことがなく、ニュースを見ても誰かの話を聞いても、現実味も実感も湧かず、正直言って他人事でした。
祖父母が年々衰えて、父方の祖父母がわたしのことがわからなくなっても、身体が動かなくなって寝たきりになっても、祖父母が死ぬことに対して何の実感も湧きませんでした。
だからといってはなんですが、喪服の準備の優先度が高いと思ったことはなかったし、実際、お恥ずかしい話ですが祖父の葬儀には間に合いませんでした。
じっちゃん、ちゃんとした身だしなみで参列できなくてごめんね。
もっとちゃんとした大人になって、立派な姿見せられなくてごめんね。
これから、今まで以上にたくさん頑張るから、どうか見守っていてください。
長い間、本当に、本当に、お疲れ様でした。
たくさんのことが頭をよぎったけれど、何よりも、もっと立派な大人になって、祖父や家族の前で胸を張っていられる自分になろうと、強く思いました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。