人と自分を比べているのは、疲れているときのサイン

雑記

こんにちは。きしめんです。

今回は起承転結も何もない思考の垂れ流し記事となります。

呼吸をゆっくりにしていきましょう。

わたしは、なかなか自分に自信が持てなくて、よく人と自分を比べては落ち込んでいます。

でも、比べるべきは人と自分ではなくて、過去の自分と今の自分。

少し過去を振り返ってみましょう。

わたしは見栄っ張りでした。わからないことを「わかりません」と言えませんでした。人に尋ねることは恥だと思い、自分で何とかしようとして失敗するような人間でした。

「わからない」「知らない」「できない」はダメな人間の証だと思っていました。なのでそれをひた隠して「わたしはダメな人間ではない」と思ってもらいたくて必死でした。

わたしは常に「褒められたい」「認められたい」と願い、誰かに自己承認欲求を満たしてもらいたがる人間でした。

では、今はどうなのでしょうか。

今のわたしは、自分のことを「ダメ人間」だと責めることがなくなりました。

もちろんネガティブなことを考えることはあるけれど、「ネガティブなことを考えている」という事実を受け止めて、それを「不調のサイン」として考えるようになりました。

「わからない」「知らない」「できない」と言っても大丈夫だと思えるようになりました。わからないことを素直に「わかりません」と言えるようになってきました。

人と自分を比べて落ち込むことは、まだあります。けれど、人と比べている事実を受け止めて「疲れているサインだ。休もう」と考えられるようになりました。

わたしは、自分が元気なときであればしっかりと前を向いて歩いていけるのだと、自分を信じられるようになりました。

自信満々とまではいかないけれど、自分を信じられている瞬間が増えてきました。

これは、わたしにとって大きな大きな進歩です。

わたしからみて、周りの人たちのスピード感はすさまじいと感じます。

いいな、早いな、置いていかれちゃうな、と思ったりもします。自分の鈍足具合に苛立つこともあります。一人だけ取り残されるような錯覚も抱きます。

でも、わたしのベストスピードと、他者のベストスピードは違うのです。

わたしにはわたしの「最高速度」があるはずです。それは、客観的に見たら遅いかもしれないけれど、わたしが未来に進むのには最適な速度だったりするのです。

速すぎてしまうとスタミナ切れを起こして行動不能となり、進むも何もなくなってしまう。
遅すぎてしまうと行動を起こすのが億劫になり、あれこれ言い訳を並べて動かなくなる。

なので、ちょうどいい速度で、常に進み続けていくのが、ベストな速度なのだと思っています。

過去の自分が、自責で涙を流していた頃のような、なのに何も行動を起こさずに願ってばかりいたような、そんな立ち止まり方はもうしたくない。

わたしはわたしに適した速度で、ずっとずっと進み続けていきたいです。

 

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