こんにちは。きしめんです。
これは、わたしが人生で初めて身近な人の死を体験したときの話です。
それはあまりに衝撃的で、無意識にも感情を揺さぶられ、気が付いたら涙が出ている、なんてことが何度もありました。
そんななかで、わたしはこの話をしっかり記録として残しておこうと決意しました。この体験の記憶を風化させてしまわないため、そしてわたし自身の感情を整理しやすくするために、感じたこと・考えたことをしっかり文章に残しておこうと。
しばらく時間を空けた今、わたしにとって大切な出来事の記録として、このブログに残させていただこうと思います。
前置き
この記事は、わたしがオンラインコミュニティ内のSNSで書いた当時の投稿を元にしています。ほぼ編集せずにそのまま載せているため、そのまま読むと一部前後のつながりが分かりづらい点があります。
見出しタイトルの日付は、本文を書いてSNSに投稿した日付です。
1日に何度も投稿している場合は、投稿ごとに区切り線をつけています。
前・中・後の全三編となっています。(今回は前編です)
補足の意味でも、本文に入る前にまずは簡単に当時の状況を説明しておこうと思います。
話は祖父が亡くなる前日の4月13日から始まります。
わたしは4月14日に実家への引っ越しを控えており、13日の夜はコミュニティの仲間たちと一緒にzoomをつないでゲームを楽しんでいました。遊び終えてそろそろ寝ようかと、zoomを閉じてスマホを見ると、母からLINEの通知が来ていることに気づきます。
2020年4月13日:知らせ
zoomを抜け、LINEの通知が来ていたので中身を見た。母から、祖父が倒れて入院したとの連絡だった。一時心臓が止まり、心臓マッサージで現在は回復しているらしいが、意識はない。次に止まったら処置はしないと決めているそう。
こういう時、わたしはどういう気持ちでいればいいのだろう。
通常どおり引っ越しはするけれど、あまり明るい気持ちにはなれないかもしれない。
気張っていこう。
早ければ今夜じゅうに、と書いて送ってきた母の心中を思って、わたしは何ができるのだろう。
4月14日:命日
引越し当日。荷物を業者に預けて、引越し先でもある実家へ向かう電車の中で、母からの続報を受け取った。
医師から「意識は戻らない。あとはもう心臓が止まるのが待つだけ」と告げられたとのこと。
まだ完全に終わったわけじゃないのに、もう間もなく終わることが確定していると告げられていて、電車の中で涙が止まらなくなった。
身近な人の死を、わたしは初めて体験している。
しっかりと噛み締めて、向き合って、折り合いをつける。
2020年4月14日14:30 祖父が息を引き取りました。
祖父の命日は、わたしが実家へ引っ越す日でもあった。
必死に荷ほどきをしながら、ふとした時に暗い気持ちが襲ってくる。手を動かして何も考えずにいたらいいんじゃないかって、縋るようにして片付けをしている。早く終わらせてしまえばラクだから、と多少の疲れは無視して手を動かす。
わたしは何を恐れて、何から逃げているのだろう。どうして胸が苦しくて、どうして涙が出るのだろう。
一時的にでも涙を止めたくて、わたしはまた手を動かした。
母が見た祖父の最期
13日に祖父が倒れたという知らせを受けてから、14日の夜までずっと祖父母のもとへ行っていた母が帰ってきた。
母の帰り道に合流してご飯を食べようかという話になり、両親とわたしの3人で外食することに。注文を済ませて料理が来るのを待つ間、母の話を聞いた。
13日の夜、祖父は宗教上のおつとめを終えたあとに部屋で倒れて、救急車が到着したころにはすでに心肺停止状態だったらしい。倒れた直後は「おとうさん、大丈夫!?」と尋ねた祖母に、祖父は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と答えたそうだ。
それから心臓マッサージを受けながら搬送され、搬送中に回復。しかし、病院に運び込まれてしばらく、母が病院に到着したころには再び心肺停止。看護士さんに「心臓マッサージを行いますか?」と尋ねられたらしい。
救急車内で一度心臓マッサージをして回復したことを知らなかった母は、「お願いします」と答えた。(もし知っていたら、おそらく「いえ、大丈夫です」と言っていたのかな、と思う。延命をするかしないかのことは祖父と話し合っていたから)
そして、心肺は再び回復。しかし、意識は戻らず、呼吸も人工呼吸器が無ければできない状態だった。病院の救急医師があらゆる処置を施したものの、血圧は上の数値でも40ほどまでしか上がらず、もうあとは自然と心臓が止まるのを待つだけとなっていた。
「早ければ、あと1,2時間ほどでお亡くなりになるかと思います。ですが、人間の体のことですので、もしかしたら明日の朝になるかもわかりません」医師からそう告げられたのは、もう夜も遅い時間だった。
母は、大阪に住む叔父(母の弟)にLINEで連絡を入れた。『朝一でこちらに来ても間に合わないかもしれない。けど、葬儀前に一目顔が見たいのであれば、明日の朝一で来たらいいと思う』。叔父からは朝一で東京に行くと返信がきた。
14日、叔父が朝一で東京に来て病院に着いたとき、祖父の心臓はまだ動いていた。
新型コロナの感染予防により、祖父と対面できるのは1人ずつ5分だけ、と言われ、祖母と母、そして叔父が意識のない祖父との対面を果たしたという。
祖母と母と叔父で、医師から説明をうけて、死因は何になるのか、コロナではないのか、などの質問をした。その医師は祖父の担当医ではなく、その病院で救急の担当かつ病棟の責任者をしている医師で、これまでずっと祖父のことを診てきたわけではないからデータを見てわかることしか言えないが、と前置きをしていろいろ教えてくれた。
死因はおそらく、「悪性リンパ腫」。白血球に含まれるリンパ球ががん化する病気。
直接的な症状というよりも、何かのきっかけでがん細胞が血中で崩壊し、体内のカリウムを異常に増やしてしまい、それが心臓を止める作用を引き起こしたことで、心停止となった。コロナの感染を完全否定はできないが、症状や体の状態を見る限り、新型コロナではない。
死亡診断書には「悪性リンパ腫」と記載された。
父は、「まぁある意味、大往生だったんじゃないの」と言う。母もそれに同意していた。
祖父自身は苦しんだ様子も無く、長患いもせず、静かに息を引き取った。死に際に苦しい思いを死なずに済んだのだと考えると、確かに、そう悪い死に方ではなかったのかもしれないな、と思った。
祖父が亡くなって、祖母の様子はどうだったのだろう。
気になったけれど、疲弊している様子の母に尋ねることはできなかった。
→中編へ続く