「何をやりたいか」よりも「どんな自分が好きか」を大切にする

雑記

こんにちは。きしめんです。

以前、どなたかがツイートしていたのを見かけたような気がしたのですけど、「自分が何をしたいか・何をやりたいか」というよりも、「何をしている自分が好きか」を考えると良いという話を目にしたことがあります。

その時は「なるほど」と思いつつ、心にはあんまりピンと響いていませんでした。
でも最近になって、「それって、こういうことかもしれない」と考えるようになりました。

ラクだけど怠惰に見える自分は好きじゃない

例えば私は、パートが休みともなると、家に引きこもってPCの前からほとんど動きません。なんなら椅子とベッドの往復ばかりで、立って動くことさえ少なくなります。
動きが少ないので体力はそれほど使わないし、スマホ触り放題でSNSや動画を楽しんでばかりいるので、とてもラクです。

でも、この姿の自分はあまり好きではないことに気づきました。

たとえ疲れることになったとしても、積極的に外に出て、ゆったりと散歩をして、周りを観察しながら思考の種を得て、くるくると心地よく思考を巡らせながら気づきを得つつ、帰宅してその気づきを書き留めておく。
ときどき疲れて部屋に引きこもる日があったとしても、寝転ぶばかりではなく、天気の良い日に思い切り洗濯や掃除をして清々しく過ごしたり、前日の外出で得た刺激を自分の中でこねくり回して落とし込むべく夢中で書き物をしたりして過ごす。

そんな生活をしている自分のほうが断然好きなのです。

自分を好きになるなんて発想自体なかった

どんな自分が好きか、なんて以前は全然考えられませんでした。

どんな自分を想像したところで、「絶対に叶わない」と、何の根拠もなく思っていました。
何をしてもダメな自分が、そんな姿になれるわけがない。全部、ただの妄想にすぎないのだと。

そもそも、自分のことなんて好きになれるわけがないと思っていました。いわゆる、自己肯定感が低すぎる人間だったのです。
だからこそ、妄想の世界に憧れて、現実では何もしない人間になっていました。

けれど不思議なことに、今はどんな自分が好きかを考えられるようになりました。

YouTubeにかじりついて何も進展しないまま時を過ごす自分は、好きではないんだなと気づきました。

運動が習慣づいていて、自分で家事を工夫して取り組み、仕事を楽しくもきっちりこなしつつ、外に出て刺激を受けては、受けた刺激とその影響について夢中になって語ったり、書き留めたりしている。
そんな自分が好きなのだと気づけるようになりました。

そして、そんな「自分の好きな自分」になろうと思えるようになりました。

何が変化を起こしたのか

どうして、自分を好きになれるはずなんてないと思っていた自分が、「自分の好きな自分」になろうと思えるようになったのでしょう。

それはやっぱり、自分との約束を守ってきたからなのだと思います。

自分との約束を守るのを続けていくと、だんだんと自分を信用できるようになってくるのです。
「なんだ、こいつちゃんと約束守れるじゃないか」と、自分に対して少し「信じてやってもいいかな」、なんて思えてくるのです。

たとえ「そんな約束、守れて当たり前じゃん」なんていうような、ごくごく小さく簡単な約束だったとしても、続けていけば「信じてやってもいいかな」となるのです。
自分との約束を守るというのは、つまり自分で決めたことを実行するということ。

鼻を触ると決めて鼻を触れば、それはもう約束を守ったことになるわけです。

そんな小さな積み重ねが、自分への信用につながる。
信用できるようになってくると、今度はだんだん「こいつのこと、好きになってやってもいいかな」と思えてくるのです。

諦めなくていいんだ

私は、どんな自分が好きだろうか。今の自分の姿は好きな自分だろうか。
そんな問いを繰り返していくと、やがて自分の理想像が見えてくる気がします。

そして、まだはやい、もう遅い、なんてことはなく、今だからこそ夢を叶えるし、諦めない。
そう、理想像を諦めなくていいんだなって思えるようになったことが、私にとってとても大きな変化だと思います。

なりたい自分を思い描いて、いつになっても諦めずに、目指し続けていきます。

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