自分の価値は人から言われて初めて気づくことが多い

雑記

こんにちは。きしめんです。

自分の価値って何だろう。
そう考えたときに、何も思いつかないことって結構あるのですけれど、自分では気が付かないだけで意外と価値あるものを持っていたり知っていたりするのかも、と最近思ったので、それについて書いていこうと思います。

特別なことと思っていないものが価値だったりする

先日、台風19号で浸水の被害を受けた方のお宅へお掃除のお手伝いに行きました。

その際、思いがけず電動ドライバー(ドリル)を扱う事案が発生したのですが、「電動ドライバー(ドリル)を扱える」のも価値なのだなぁと、帰り道に気が付きました。
というのも、「それができるんだったら、もっと給料のいいところで働けるかもよ」と教えてくださった方がいたからなのです。

会社員の時に製造部で現場作業を経験したこともありますし、現在のパートでの業務で工具や機械を扱うことがあるのですが、他の社員やパートも同じように工具を扱うので、「工具を扱える」ということ自体が特別なことであるとは思いもしませんでした。
でも確かによく考えてみたら、使い方を知らない人や使い慣れていない人からしてみると、工具が使えることは価値になり得るのですよね。使い方を教えることもできるし、代わりに作業をすることもできる。それでお金をもらう人もいるのですから。

電動ドライバーもそうですが、デジタルノギスとかタッカーとかボール盤とか、そういう日常生活ではまず触ることのないものを使うことができるって、ちゃんと価値になるのだなぁと今更ながら気づきました。

以前にも同じように指摘を受けた

以前、別の方にも、会社の仕事で必然的に見につけた箒の知識も価値になる、と教えていただいたことがあります。
そのときも「え、そうなんだ(゚Д゚;)」ってなったのですけど、案外自分が認識できてない価値って結構あるのかも、と思いました。

完全に余談ですが、
ホウキ一つとってもいろんな種類があるわけです。
一般に多いのはシダホウキと化繊ホウキです。学校などの公共施設でよく使われるのは竹ホウキ(外用)や馬毛を使ったT字ホウキ(室内用)。 畳を掃除するための昔ながらのホウキは柔らかい藁を使った座敷ホウキ。めっちゃ高級だけど細かいゴミがよく掃けるのが棕櫚(シュロ)ホウキというのもあります。
こういった知識も価値になり得るのですね(´ω`)

ヘイシャの社員にとっては当たり前のものとして身につけている知識も、会社の外に出たら価値のあるものになるのだと、会社を辞めてから教えてもらいました。

大したことないと思っていた経験や知識が価値になる

学生時代にバスケットボール部や少林寺拳法部に所属してきましたが、特別上手いわけでも強いわけでもなく、練習法やスポーツのルールなどを憶えて終わりました。
でも、そこで身につけた知識や情報は、スポーツ経験のない人にとってはとても価値のあることである可能性があるのです。

自分が「こんなのちょっと調べれば誰でもわかることだしな…」と思うことでも、実体験としての話が重宝されたり、経験で得られるちょっとしたコツなどは調べても出てこなかったりするかもしれません。

自分にとって当たり前だったり、大したことないと思っているようなことだったりが、誰かにとっては価値のあるものになるかもしれない。
それに気づくことができたのは、やっぱり「へぇ、知らなかった。面白いね」とか「そんなことできるの!すごい!」とか、そうやって人に教えていただいたからです。

過去に何の成果も実績もあげていなくて、「自分は何も持ってないなぁ。価値のない人間なんだ」って落ち込んでしまう前に、ちょっとだけ「本当に価値になるものを全く持っていないんだろうか?」と疑ってみてもいいかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました