そうか。自分のため、でいいのか。
誰かのためでなく、自分のために動くのでもいいのか。
結局、いかに自分が気持ちよく過ごせるかなのだな。
それにあたって、私は自分の居心地の良い空間だったり環境だったり、そういう「自分のテリトリー」みたいなものを大事にするタイプで、テリトリー内をいかに居心地よくするかに全力を注いでいるのだなと、ふと思う。
人間関係も同じで、自分のテリトリー内で気持ちよく過ごすために誰も彼も受け入れることは難しくて、一度仲良くなった(テリトリー内に入った)人に対してはとても大事にしようとするし好きでいたいし好きになってもらいたいと思うけれど、1度も接点を持ったことのない人に対してはあまり興味を示さない。
自分のテリトリー内で気持ちよく過ごすことに全力だから、テリトリーの外のことに関心を向けることがあまりないのだろうな。
そして自分がそうやって自分の好きな場所で好きに生きようとするタイプの人間だから、他の人もみんな好きに生きればいいと思っているのだろうと思う。だから人によっては私はめちゃくちゃドライで冷たい人間に見えるし、人によっては自分のことしか考えていないわがままな奴だと思われるのだろうなぁ。(実際否定できない部分もありそうだし)
目に見える人のためを思える人はすごいなぁと思う。
私は目に見えていても、自分にとってテリトリーの内側の人でないとあまり親身になってあげられない節があるからなぁ。
テリトリーと言うけど、その範囲はここからここまでとはっきりしているようでいて、案外曖昧な気がしている。とても感覚的。
その時の感情によっても変わってしまうかもしれないし、自分のおかれた状況によっても変わってしまうかもしれない。
1つ言えることは、私はライフエンジンに入って、テリトリーの範囲がとても広くなったということ。
ライフエンジン内の人であれば大抵心を許せる気がしているし、ウェルスダイナミクスに出会ったのをきっかけに、自分とは全く異なる思考の人を受け止めることができるようになってきた。
自分の持っている常識を他者も当然のように持っているはずだ、という妄想から目を覚ますことができた。
それによって、今まで自分と同じ感覚の人しか受け入れられなかったテリトリーに、いろんな人を受け入れられるようになった。
そういう意味で、テリトリーの範囲は、視野の広がりによってかなり変動しそうだ。
自分の居心地の良い空間、自分の納得する方法や考え方、自分のために進んでいくこと。全部、自分が中心。
「自己中心的だ」と非難される場面を何度も目のあたりにしてきたし、実際にされたこともあるけれど、それってたぶん根っこからそうだから、なかなか変えられないものなんだろうな。
だから、無理に変えようとするよりも、上手いこと活用していくほうがいいんだろうな。
人のために動いていかなきゃいけないって、今でもどこかで思っている節があるんだけど、自分のためでいいんだな。
自分の居心地の良いテリトリー(城)を築くので、たぶんきっといいんだろうな。
ただ、間違ってはいけないのは、たとえどんな理由があっても、人を傷つけていいわけじゃないってこと。
自分のために人を傷つけるのは絶対に間違っているし、何より自分が気持ちよく過ごすことが叶わなくなる。
自分にとって何が気持ちよくて、何がそうでないのか。
それを丁寧に見つけていくことが大事になりそう。
さて、また立て直していこう。