おはようございます。きしめんです。
わたしの原動力は何だろう。という、今朝浮かんだ疑問が、なんとなく自分の大事なことな気がして、頭の中に残っています。
絶望から這い上がろうとする負けん気は、わたしには無いなぁとか。
自分がどこまで成長していけるかのわくわく感も無いなぁとか。
自分の中で、自分の優先順位は低め。だからか、自分のために何かしようっていうモチベーションは長続きしない。何かタスクをサボったとして、困るのが自分しかいなかったら、別にいいかって思っちゃう。
親からどんなに「今やっとかないと、困るのは自分だよ!?」と言われても、全然ピンと来なくて動かなかった記憶もある。
自分のためでなかったら、わたしは何で動くのだろう。
ちょっと思ったのは、「自分の納得感」がないと動かないことが多いなぁということ。
やったほうがいいんだろうなと頭ではわかっていても、自分の中でちゃんと腑に落ちてなかったらまったくやろうと思わないし、やらない。
会社員時代にわがまま放題言っていたのも、頭ではやらなきゃいけないとわかっていても、上手く納得できずにいたから、会社への反発心が日に日に大きくなって我慢できなくなっちゃったのかもしれないなぁ。
以前書いた、過去の自分を救いたい、というのも、もしかしたら過去の自分では納得できなかったこと、今だったら納得できているからやりたい、ってことなのかもしれない。

どうして勉強しなきゃいけないのか、とか、どうして真剣に部活動しなきゃいけないのか、とか。そういう、ごく当たり前に思えることを自分の中でちゃんと納得させることができずにいたのかもしれないな。
わたしは、自分で納得してから動く習性がある。
でもたぶん、それは原動力とは違う。自分で納得したいから動くわけではない。
わたしの原動力って何だろう。
以前の自分は「褒められたい」一心だった気がする。
頑張ってる自分をとにかく褒めてほしかった。「すごいね」「えらいね」って言ってほしかった。
それって自己承認欲求を一生懸命他人に求めていたってことなんだろうな。
でも、「褒められたい」って気持ちで、いろんなことを考えたし、実行に移そうっていう原動力になっていたと思う。つまり「褒められたい」気持ちがかつての自分の原動力だった。
じゃあ、今の自分はどうだろう。
うーん…
実際、あんまり変わってないのかも。
以前と違うとしたら、「すごいね」って言われるのもそうだけど、「ありがとう」って言われたいってなってる部分かな。いや別にそんな明確に「ありがとう」って言われたいっていうのもちょっと違うんだけど。
言われたいっていうより、「人の役に立っている」実感を持ちたい、が近いかな。
誰も彼もに褒められたいわけじゃなくて、わたしの頑張りや活動をわかってくれた人に、「すごいね」って言ってもらえたら嬉しいなぁって思う。でも、たぶん「すごいね」って言われなくても、「役に立ててる!」って実感できていればそれでいい気もする。
「人の役に立ちたい」が原動力?
というか、「役に立ってる感を得たい」が原動力かなぁ。
好きな人が困ってたら、大変そうだったらやっぱり力になりたいし、それに手を貸したことへの見返りは求めない。強いていえば、大変そうじゃなくなって、楽しそうにしていてくれたらそれでいい、それが見返り、みたいな。
こうして言葉にするとなんだかめっちゃ良い人、お人好しみたいになっちゃうけど、全然そういうつもりはなくて、本当に、好きな人みんなが楽しそうでいて、それを見守れる環境であれるなら、それで満足、みたいな感じ。
燃えるような勢いのある原動力ではないかもしれないけど、わたしの原動力ってこのへんにありそうだなぁ。