こんにちは。きしめんです。
最近よく夢を見ます。睡眠が浅い証拠ですね。夜中に目が覚めたりもするので、睡眠の質について気を付けていきたいなと思います。
以前、「夢フェス」っていうのを見に行ったことがあります。大学生の時です。
当時は「夢フェス」とやらが何をするイベントなのかよくわからずに、高校時代の同級生がスタッフで関わっているというのと、Facebookでの宣伝文句を見て、「なんとなく楽しそう」というので参加を決めました。
会場は日本武道館でした。
大きめなスクリーンと舞台が設置され、その前にパイプ椅子が並び、パイプ椅子の列の後ろにはパネルが並んでいて、いくつかの企業の紹介が掲示されていました。
まだ就活なんて先の話だとタカを括っていた私は、パネル前に立つ企業の人に名刺を渡されても、会釈してその場を立ち去ることしかできませんでした。
「夢フェス」は、どうやら5人ほどの人が、自分が実現したい・実現へ向けて動いている”夢”についてプレゼンするイベントだったようでした。
パイプ椅子に座って舞台とスクリーンを見て、「バナナの木を使った紙をもっと普及させて自然環境保護に貢献したい」とか、「車椅子利用者の視点でバリアフリーに関わり、どんな人に対してもフラットな社会を目指したい」とか、そういうプレゼンを聞きました。
今やこの2つのプレゼンの、断片的な記憶しか残っていませんが、当時はとても圧倒されたのを憶えています。
全員のプレゼンを聞き終えた最後に、誰の夢を応援したいか?の投票が行われました。
その場で集計をとって、1番票が多かった人に、支援金が出されるって感じだったかと思われます(この辺記憶が曖昧)。
今思えば、全員の夢を応援して、全員に応援の気持ちとしてお金が渡ったらよかったのに、と思います。
でも当時の自分は、そのことに何の違和感も持たず、1番になった人へ拍手を送っていました。
私は「夢フェス」を通して、「やはり”夢”はあのぐらいの熱意を持てるものであり、壮大なものがカッコいい」と思いました。
同時に、私は”夢”を持つことに対して高いハードルを感じていました。「私には、あんな”夢”は持てない」と。
“夢”って何でしょう。
夢フェスで堂々とプレゼンした彼らのように、社会貢献を絡めないといけないものでしょうか。
ささやかな夢という言葉もありますが、夢に大きい、小さいはあるのでしょうか。
私は、その人が「こうなったらいいな」と思うものがあれば、もうそれは立派な”夢”だと胸を張っていいのだと思えるようになりました。
“夢”は、人と比べるものではないのだと知りました。
あの人に比べて大きい小さいだとか、あの人に比べてカッコいい悪いだとか、そんなの必要ないのです。
「私の夢は、”好きなように生きること”です」
そう胸を張って言っていいのだと、ライフエンジンに入ってから学びました。
それが紛れもなく自分が実現したい、目指したいものであれば、人のことなど関係ないのだと。
私は、今、ようやく、「私には夢がある」と言えるんだ!って、思えるようになりました。
ずっとずっと欲しがっていた”夢”を、既に手に入れていて、それを堂々と掲げてもいいのだと、ようやく気づけました。
私には夢があります。それは「好きなように生きる」ことです。
それってどういうこと?と言われてしまうくらい抽象的な言葉ですが、私の中では言語化できないイメージが存在しています。
でも、今はこの夢をもっと具体的にしたいな、と思い始めています。
言葉にして表せるようにしたいな、と思うのです。
なぜなら、私が叶えたい夢がどんな姿をしていて、どうすればその姿に近づけるのかを知りたいからです。
私は慎重で、動く前に考え込んで、納得してからようやく動くような鈍足ですけれど、自分なりの歩みでたくさんのことに挑戦していこうと思います。
抽象的なイメージを具体的な姿へと落とし込むために、自分の信じる方向へ歩いて、間違えたら戻って軌道修正しつつ、また歩き出して…を繰り返していこうと思います。
………なんて、”夢”について語りたくなった、そんな日です。