こんにちは。きしめんです。
今日は朝からコミュニティ内のSNSでたくさん考え事をしてたくさん投稿していました。
その時間がとても楽しくて、こうした楽しい時間が続いてほしいな、続けていけたらいいなと思いました。
”楽しい”って、言葉にするともっと楽しくなっていくんだな、と昨日お出かけしていて感じました。
オンラインコミュニティ「ライフエンジン」でとてもお世話になっていて、仲良くしていただいてる人たち3人と一緒にお出かけをしてきたんです。お台場にある『チームラボボーダレス』へ行ってきました。
観覧している間じゅう、ずっとずっと楽しかったです。
キレイな映像を見て、美しい表現を見て、言葉を失いながら笑顔になって感動して、とても充実した時間だったなと思います。
たぶん、1人で行っても十分楽しめる場所だったと思います。1人で行っていたとしても、同じように感動することはできたと思います。
でも、好きな人たちと一緒に回れたことも全部ひっくるめて、最高に楽しい時間になったなと思いました。
一緒に行ったからこそ得られたものがたくさんあったのは間違いなくて、好きな人たちをもっと好きになれたような気がしています。
ボーダレスへ行く前後に食事をしたときも、そこへ行くまでの移動の間も、本当にずっとずっと楽しくて、それは初めての体験で、とても不思議な感覚でした。
「好き」と「楽しい」がたくさんあって、SNSに書いても直接口にしても全然足りないくらい溢れていたように思います。
とにかく「好き」「楽しい」をずっと思っていましたし、最後のほうは壊れたオーディオのように何回も言っていたと思います。
そんな「好き」で「楽しい」時間を過ごしながら目にする情報はどれも素敵に見えました。
SNSで全然別の場所にいる人が投げた投稿も、素敵だなって素直に感じることができて、気が付いたら「好きです」ってシェアをしてしまっていたくらい。
「好き」「楽しい」の気持ちって、溢れると他のものにまで伝染していくんだなって思いました。
とても不思議だなと思うのは、名残惜しくも「楽しい」時間が終わってしまったときに、とても怖くなってしまうことです。
「あの楽しさを、もう二度と感じられなくなったらどうしよう」「溢れんばかりの好きを、失ってしまったらどうしよう」って、怖くてたまらなくなったりするんです。
まるで、楽しんでちゃいけないみたいな、好きになってはダメと言われているような、そんな不安がドッと襲ってくるときがあるんです。(毎回ってわけじゃありませんよ?)
わたしはこれまでずっと、「失うくらいなら好きになりたくない」とすら思っていたんじゃないのかな、と思う時があります。それぐらい、好きなものを失うことに臆病になっていたんだと思います。
だからこそ、好きなものを「好き」と言えませんでした。むしろ目をそらすことに必死になっていました。大事にしたいからこそ、触ってはいけないような気がしていました。
でもやっぱり、何年経っても「好き」の気持ちは消えなくて、触りたい気持ちを捨てきれなくて、すっきりしないままその思いを持ち続けてきました。
最近になってようやく、好きなものを「好き」と言えるようになってきました。「好き」と口に出しても、すぐには失われないと知りました。失わないように努力することが可能なのだと知りました。そして、「好き」と言えばいうほどまたさらに「好き」になれることを知りました。
楽しいことを「楽しい」と言って、好きなものを「好き」だと言う。
それだけで、幸せな気持ちが大きくなることを知ることができました。
これからも、素直に「好き」「楽しい」って言うようにしていきたいな、と思います。