こんにちは。きしめんです。
わたしの周りには「すごい!」と思える人たちがたくさんいます。
わたしには絶対にできないようなことを簡単にやってのけたり、きっと大変で苦労の多い道を乗り越えてきたからこその考え方・視点・言葉を教えてくれたり、尊敬してやまない人たちがたくさんいます。
みんな、わたしよりもすごい人だ!と思うのですけれど、でもそれはイコール「自分がマイナス」というわけでは決してないのだと、ちゃんと憶えておきたいなと思います。
誰かと比べて自分は劣っている、と感じることがあります。
それは人とのコミュニケーションの取り方だったり、働くことに対しての考え方だったり、実際の収入額だったり、人望・人気・有名度だったり、いろいろあると思います。
でも、たとえ事実としてその人と比べて自分が劣っていたとしても、だからといって自分が「普通よりも下」だとは限りません。たまたまその人のほうがレベルが上だっただけで、自分だって平均よりもうんと良い点を取れていたりするのです。
自信を失っている時、自分よりもレベルが高い人を前にすると「自分はダメなやつなのだ」と思い込んでしまいやすいのだと思います。
でも、冷静に考えてみるとそんなことはなくて、自分は自分なりの努力を積んできたわけで、全く何も持っていないわけではありません。むしろ、人よりも多くのものを手にしている場合だってある。
上ばかりを見て、今いる場所がどこなのかが見えなくなってしまっているだけなのだと思います。
自分がいる位置は、場所は、レベルは今どこなのか。それを客観的に見るには、心に余裕が必要なのかもしれません。
だから、自分がどうしようもなく駄目なヤツのように思えたら、一度、きちんと休んでみたらいいのかもしれません。
あの人のようになりたい。あの人と同じレベルに行きたい。肩を並べたい。横に立ちたい。
そう願い続けて、もう何年経ったのでしょう。
自分の現在地を知り、自分の足元を見るようになったのは、つい最近のことです。
憧れの人に追い付けないことに落ち込んで、絶望して、歩くのをやめようとしたことなんて、数えきれないくらい何度もあります。
でも、そもそもその人と全く同じ場所に立つことが、自分が本当に成し遂げたいことなのでしょうか。目指す場所は、憧れの人が今まさに立っているその場所で良いのでしょうか。
あの人と同じ高さになりたいとは思っても、立つ場所は異なっていてもいいのではないでしょうか。
自分の道を探すのって、大変なんだと思います。迷いもするし、間違いもするんだと思います。
でも、歩き続けるからこそそれがわかるのです。あっちが間違いで、こっちは転びやすいって、歩き続けていなかったらわからなかったことだと思います。
寄り道したっていいじゃないですか。間違えたっていいじゃないですか。
いったん戻って、また別の道を進めばいいじゃないですか。
それは、決して無駄なことではないのですから。