こんにちは。きしめんです。
大学時代からの友人・ハヤイの誘いで、久しぶりに劇を観に行ってきました。
いつも観劇に誘ってくれるハヤイは出演者側で、毎回面白く見させてもらっているので今回も乗っからせてもらいました。
社会人になってからは、今回で3回目くらいかな?
誘いの声がかかるのはとてもありがたいことです。感謝。
劇団「鬼の居ぬ間に」さんの公演に行くのは初めてのことでした。
これまでどんな作品を公演してきたのか、まったく知らない状態で行ってきたのですが、どうやら「妖怪」をモチーフにしたなかなかダークなテーマを主に上演なさっているみたいでした。
過去公演のタイトルだけ見ても、怪しさや怖さが滲むように伝わってきますね。
今回の『逆柱—追憶の呪い—』は九つめの作品。
2月28日~3月4日まで、下北沢の小劇場B1で公演を行なっていて、わたしが観に行ったのは千秋楽、つまり最終日の最後の公演のときでした。
※ここからは、作品の内容上、ダークな表現を含みます。苦手な方はご注意ください。
内容としては、最初から最後まで救いのない、残酷な崩壊を辿った一族のお話でした。
流れとしては、たった2人となった一族の人間であり、崩壊を目の当たりにした政吉の追憶から話が始まります。
当主の余命は長くなく、跡取りについて話がなされる場面から追憶、および崩壊が始まりました。
長男家族、次男夫婦、長女(末娘)夫婦、分家夫婦が集まるなかで、誰もが「次の当主は長男」だと信じて疑わなかったのに、当主が指名したのは長女でした。実は、長男も次男も実の息子ではなく、一族の血が流れていないと告げられたのです。
血を絶やさぬためにと長女を指名した当主ですが、長男も次男も納得がいかず、それは憎しみとなりました。
そこから次第に人々は狂っていき、一族は崩壊の一途を辿り、最初から最後まで希望と呼べるものはありませんでした。
それはそれは残酷で悲惨で、見ている側としてはとてもじゃないけど気持ちが良いとは言えない内容でした。
内容紹介ついて自分のツイートを引用すると、こんな感じです。
内容的には、とある一族の崩壊に伴う大変惨く醜い部分をリアルに描いたような作品でした。恨み憎しみから暴力が生まれ、支配が生まれ、恐怖につながり、ヒトが人を罵り、ヒトが人を虐げ、ヒトが人を殺し、最後には何も残らないような、そんな崩壊でした。
— きしめん@ (@ksmn4747) March 4, 2019
ちなみに逆柱(さかばしら)というのは建造物における逆さに立った柱のことで、家鳴り(家がギシギシとなる現象)や火災などの災いを呼ぶと言われる説もあれば、日光の陽明門のように未完成であれば衰退は無いという縁起の良いものとされる説もあるそうです。
劇中でも、一族は当初、逆柱を縁起の良いものと信じていて、それがだんだんと逆柱の呪いなのではと怯えるようになっていくという感じでした。
公演を観終わった帰りの電車で、作品の感想を簡単に書いておこうとTwitterでツイートしてみたところ、スレッドがとんでもなく長くなってしまいました。とても惨い内容だったけれど、それぐらい考えさせられることや感じることがあった作品だったんだと思います。
観劇後の熱が冷めやらぬときに書いたツイートは、それはそれで結構な量の感想を書いたのですが、当記事ではそこから少しピックアップしつつ、感じたことを書いていこうと思います。
今回、一番考えさせられたのは「目の前で起こった悲惨な現実を、人間はどのように受け止めるべきなのか」ということでした。
作品を通して考えさせられたのは、現実として受け入れがたい凄惨な体験を、呪いのせいにしてしまった方がラクだったのか、それともやはり現実のものとして受け入れようと努力するべきだったのか、です。答えはわかりません。でも、そういう問いかけが在る作品だなと思いました。
— きしめん@ (@ksmn4747) March 4, 2019
話の中で、一族の人々にそれはひどく虐げられた長女の婿は呪いの言葉をつぶやき、家に呪いをかけたと言います。一族が崩壊したのも、全ては自分がかけた呪いのせいなのだと。
しかし同じように酷い仕打ちを受け続けた長女は呪いではないと言います。ただ、愚かな一族が崩壊した、それだけだと。呪いなどではなく、目の前で起こった現実以外の何ものでもないのだと言っているように思えました。
婿は長女に寄り添いながらも、あれは呪いのせいだと思い続けていました。起きた現実を受け止めようとした長女と、呪いが崩壊を招いたと信じる婿。どっちが正しかったのかなんて、誰にも決められないでしょう。それでも、考えてしまうのです。受け止めるべきか、呪いのせいだと逃げるべきか。
— きしめん@ (@ksmn4747) March 4, 2019
とても現実だとは思えないほど悪いことが起こったとき、それが誰のせいでもないのであれば、どうすればいいのでしょう。
誰かのせいにすれば、責め立てて罰を与えたくなってしまいます。自分のせいにすれば、その罪の重さと厳しい罰をその身に受けることになるでしょう。
呪いのせいだと、得体のしれない何かのせいにして、ほんの少しでもいいから心穏やかに近づく選択肢を望むのは、自然なことなのかもしれません。そうすれば、目の前のことに目を向けられやすくなるのかもしれません。
けれども、目の前に起こったことは紛れもなく事実であり、現実です。たとえ本当に呪いのせいだったとしても、過去の痛みが消えるわけではありませんし、苦しみやつらさがなくなるわけでもありません。
だとしたら、呪いだなんだというのではなく、ありのままの現実として受け止めたほうがいいのではないでしょうか。何かのせいにするのではなく、ただ目の前に起こったことに目を向け、その事実を受け止めるのです。
どちらが正しいなど、決められる人は誰もいません。
けれども、もしも私だったらどうするのだろう、と少し怖くなりました。
久しぶりの観劇にしてはかなり刺激の強い作品だったなと思います。
最後に、今回の公演を観て感じたことを書いたツイートを置いて終わりましょう。
今回、1番すごいなと思ったのは、世界観をかなりリアルに感じられたことです。人々の恨みや憎しみ、恐怖、狂った言動…描かれている全てのことが「本当にあってもおかしくないな」と思わされるようなリアリティがありました。脚本と、演出と、役者さんの演技があってのリアリティかもしれません。
— きしめん@ (@ksmn4747) March 4, 2019
自分事に置き換えて考えてしまうくらい、リアリティ抜群でした。
ありがとうございました。