雑記

姉を超えようと思ったことがない。
何故ならおそらく、姉には敵わないとわかっていたから。

姉のようになりたいなと思ったこともある。
けれど、姉以上に優秀になるとか、姉よりも上になりたいとか、そういうのは一切考えたことがなかった。

かといって、対等でありたいという感じでもなかった。
姉のようになりたいけれど、姉と対等になりたいわけではなかった。

ここ難しいな。

姉は常に私よりも先を行く人で、姉はいつも私より優秀な人だった。
よそから見たらそんなことなかったのかもしれないけれど、少なくとも私はずっとそう思って生きてきた。

姉はすごくて、優秀で、努力家で、こだわりやで、私よりもできる人。
姉のようになりたいと思う反面、絶対になれないなとも、どこかで思っていた気がする。

 

今では、姉と私は全く違う生き物だから、絶対になれないし、きっと優劣もない、と思っている。
それでも姉は私より先をいっているような気がしているから、少々コンプレックスを刺激される。

でもきっと、姉にも良いところと悪いところがあって、私にも同じようにあって、それがうまく噛み合ったり噛み合わなかったりするだけ。

どちらの方がいい、とかは無いのだ。きっと。

姉より私の方が優れていると思える部分はまだまだ少ないのだけれど、いつかきっと認め合える日が来るんだろうな、となんとなく思う。

 

”姉のように”というのは、どこの部分のことだったんだろう。

おそらく、効率よく動くためにできるだけ無駄を省くところだったり、それに伴っていくつものころを同時進行で進められるところだったり、そういうところに憧れていたんだろうと思う。
それがとても高レベルなことな気がしていたし、わたしの苦手なことなんだろうと思っていた。

たとえば、効率よく動き出すよりも前に、わたしは自分の頭でシミュレーションしたがる。
丁寧に手順を確認して、並び替えて、抜け漏れがないかを確認してからだったら、効率よく動くこと自体はできるのだと思う。
しかし姉には、それを瞬時に考えて判断するスピード感がある。たぶん、わたしはそれを「能力の問題」なのだと思っていたんだろう。

たまたま、世で求められがちなのが「如何に迅速に効率よく成果を出せるか」であっただけで、わたしがそれに応えるためには、工夫を凝らす必要があったということだろう。
すぐにはできないけれど、準備と工夫、そして練習を積めばわたしにもできるようになる気がしている。

そこにエネルギーを割きたいかどうかは、また別の話だけれど。

 

姉のほうが良いとか悪いとか、そういう話ではないのだ。

姉には姉の、わたしにはわたしの得意があって、苦手があって、それをお互いに理解して、上手く噛み合わせられるかどうか。

相手を尊重する気持ちは、たとえ身内であっても忘れてはいけない。

たぶん、そういうことだ。

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