好きなように生きること

雑記

このところよく思うのは、やっぱりわたしは楽しいことをして過ごしていきたいということ。

『好きなように生きる』ことを理想として掲げたのも、そのほうがきっと楽しいと思えたからだ。

会社員をやっているとき、何もかもが苦しくて、全部が全部自分が不出来な人間だからだと思っていた。
そこから一転、今度は何もかもを環境のせいだと思い込んで、全部が全部会社が悪いことにして、自分の自由を求めるようになった。

話を聞いてほしいあまりに、話を聞かない嫌な奴になり、孤立し、会社を飛び出した。

当時の自分のことは、いつ振り返っても幼稚だったなと思う。

 

しかしながら、嫌な奴は嫌な奴なりに、わたしはわたしの生き方を模索していた。

「ここ(会社)ではないどこか」を求めていた。
今よりラクで楽しければどこでもいいとさえ思っていた。

環境が変わればわたしも変われるのだと思っていた。

でも結局、「今より酷いところへ行ってしまったらどうしよう」と、しょうもないことに怯えて転職することに尻込みしていた。

わたしが求めている「ここではないどこか」って、どこだろう。どんな場所だったらいいんだろう。
その場所は、どうやったら探し見つけることができるんだろう。

ずっとずっと考えていた。

 

ふいに、好き勝手に生きていきたいと思うようになった。

好きな人たちがいて、その人たちに好きな時に会って、楽しい時間を過ごす。
好きなことを思う存分楽しんで、好きなものを好きだと心から言える。
そんな生き方に、猛烈に憧れた。

好きな時に、好きな人に会って、好きなことをしたい。
わたしは、好きなように生きたいのだと知った。

理想の生き方について初めて真面目に考えた。
大真面目に『好きなように生きる』ことを目指そうと思った。

わたしは会社を退職し、フリーランスになった。

さしてお金も貯まってなくて、特別な資格やスキルがあったわけでもない。
経歴的にも対して実績を積んでいたわけでもない。

それでも、会社に雇われるのは”違う”と思った。
わたしが求めた「ここではないどこか」は、会社という組織には無いのだと。

わたしは思うがままに、『好きなように生きる』ことについてメモを書いた。

好きな時に仕事をする。
好きな時に仕事を休む。
好きに遊び、好きに学ぶ。

広い家に、一人で住んでいる。
そこは清潔で、整頓されていて、物が少なめ。
仕事や遊びに集中しやすい空間になっている。
時に1人で家事に奮闘し、趣味や休養などで贅沢な時間をすごしつつ、定期的に、人を呼んで誰かと一緒に過ごしているのではないかと思う。

仕事は、自分が一番(精神的に)ラクな状態でできること、負担を極限まで削ったことをおこなっている。
自分のペースを守って仕事ができている(重要)。
身に着けたことを活かすことができ、また、そのために何かを身に着けることを苦と思わないことを仕事にしている。
それを提供することによって、提供された側に直接感謝され、貢献できたことがわかりやすいともっといい。(かもしれない)

好きな人たちと過ごす時間、好きな人たちのために使う時間を確保できている。
仕事をすることが、その時間を圧迫することはなく、邪魔になることはない。

趣味があり、そのための時間もある程度確保できている。
趣味で積み重ねたものが、収入につながっているととても良い。

会社をサボってまで書いたこのメモが、当初の『好きなように生きる』理想イメージだった。

今読み返しても、そう変わっていないことに自分で驚いている。
これまで、ここまでブレない想いを持ったことがなかったから。

 

目標を口に出しては、やらないまま二転三転して。有言不実行はお手の物。
自分の約束を守れた試しがなかった。家族にもガッカリされて、何より自分で自分に期待しなくなった。

「わたしなんか」と自分を卑下するのが当たり前になった。
でも、心の奥底で「わたしだって」と死にかけな自尊心が叫んでいた。

これを書いているあいだも、胃のあたりがグッと苦しくなる感覚がある。

「わたしなんて」「わたしなんか」と自分を卑下するたびに。
自分との約束を守れずに、自分への期待を裏切るたびに。

「ダメな自分」というレッテルを、自分の手で貼り付けて、自分勝手に傷ついて。
ずっとずっと泣いていた。

わたしのことを、誰よりも、わたし自身が信じたかった。

 

好きなように生きるには、何よりも自分のチカラが必要だ。

自分を信じる。信じた自分を信じて、それにこたえること。
自分の期待に自分で応えること。それが自信に変わっていくと知ったから。

自分との約束を大事にしようと、ようやっと思うことができるようになった。

まだまだ、貼り付けたレッテルを剥がすことはできないけれど。
まだまだ、もう何度もつけた心の傷が癒えることはないけれど。

もう一度、自分を信じてみようと思えるようになった。

 

好きなように生きること。

それはきっと、自分自身を信じることなのだと思う。

自分の好きを信じる。自分の嫌いを信じる。
自分の感覚を、意志を、心を信じる。

信じて、動くことなのだ。

 

フリーランスになってからもうすぐ3か月が経つけれど、私はまだまだスタート地点にいる。

どんなに遅く見えようが、どんなに劣って見えようが、わたしはわたしのチカラを信じる。

まだまだ、こんなものじゃない。

わたしは、わたしを信じたい。

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