こんにちは。きしめんです。
今回は最近のメモログです。
自分の好きなことについていろいろ考えていました。
自分の「好きなこと」=「ずっとやっていたいこと」をほりほりしたい
人は不思議と、「1番」を「1個だけ」にしたがるなぁと思う。
1番好きなことは?の答えは、1つじゃなくてもいい。
社会学の本に書いてあった、「『あてはまるものを選びなさい』問題で何故か答えは1つだけだと錯覚する」話を思い出した。
特に「1つ選びなさい」と何も指定されているわけでもないのに、「正解は1つだけ」と思い込んでしまう。
ある意味での学校教育の賜物。
「答えは1つ」「問題には正解がある」という意識を学生時代にがっつり鍛えられているから、学校教育から離れてもそれが残っている。
これって、テスト問題とは違うところでも発動されている気がする。
好きなことが同じレベルでいくつもあったっていい。
問題に正解がない時もあるし、正解が何個も存在するときもある。
紙に赤ペンでABC書いたって、100・50・0と書いたって、それは評価とは限らない。
メインの仕事を決めなきゃいけないなんてことはないし、
仕事の報酬はお金だけとは限らない。
人の思い込みって、結構根深いなぁ。
わたしにとって、ずっとやっていたいことって何だろう。
楽しいことをしていたいなぁ。仕事も、遊びも、それ以外も。
楽しいことって何だろうなぁ。楽しさにもちょっと種類があるんだよなぁ。
仕事での楽しさって、遊びでの楽しさとは違うし、成長する楽しさと息抜きの楽しさって違う。
そのどれか1つを選んで、とかではなくて、それらを満遍なく味わいたいなぁ。
それには、やっぱり人とのかかわりは必須なんだよなぁ。
好きな人と仕事したり、好きな人と遊んでいる時が、本当に楽しいと感じるから。
一人で楽しいと感じることもあるけれど、人と楽しむことのほうが、楽しいの度合いは大きいかなぁ。
今のところは。
どうしても1人になる瞬間って、まだまだあるから、
一人でも楽しいと思えることはちゃんと掴んでおきたいし、
そうすれば何をやっても楽しい時間になるんじゃないかなあ。
うーん?
わたしは、他者からの評価や人の目を気にしているくせに、
その実、自分がどのようにみられているのか、自分の姿がどのように見えているのかがわからない。
自分が何を考えていて、どんなことを行なっているのかをひとつひとつみることはできるけれど、
その考えや行動が、周りからみてどんなものなのか、周りへどう影響していくのかがわからない。
うーん、わたしの弱いところだなぁ。
わからないのは、今までそういうことを考えてこなかったってことかなぁ。
でも、人からの評価は気にしてたわけで…
もしかしたら、気にしていたわりに評価が上がらなかったのは、周りのことを分かった気でいたからなのかなぁ。
周りのことがちゃんと見えているような錯覚をしていて、実は全然見えていないことに気づいていなくて、結果、空回りからの低評価、みたいな。
あと、当時の自分は、
自分自身がとてもちっぽけで、大したことなくて、周りへ影響を及ぼすなんてとてもできない弱い存在だっていう、
自己肯定感の低さ故の思い込みがあったかもしれないなぁと思う。