過去にいた視野の狭い私は悪だろうか。

雑記

会社を辞めて、私は何を失い、何を得たのだろう。

ふと、そんなこと考える。

 

会社員時代、私はとても恵まれていたと思う。

けれど、恵まれいることに気づかずに辞めることを決意し、決意した後に気づいたけれど、辞めることを止めなかった。

 

社員の誰もが優しかった。嫌な人なんてほとんどいなかった。
相性の悪い人はいたけれど、悪い人はいなかった。

入社当時から、私はとても考えが幼かった。

自分の中に子供を住まわせていて、すぐに甘えたことを言うし考えるやつだった。

今でも、そういう時はあるだろうと思う。

 

当時、私はとても視野が狭かった。

それまで、すべて自分が悪いのだと思い込んで、自分を責めては落ち込んで、悲劇の主人公になったかのように、不幸になっているつもりでいた。

ひとたび「全部が全部、あなたが悪いわけじゃないよ」と言われるようになったら、今度はすべて周りが悪いのだと思い込んで、ハリネズミのように針を立てるようになった。

会社のすべてを拒否するかのように、嫌な部分ばかりを見るようになってしまった。

 

たぶん、反動だったのだと思う。

それまで”すべて”自分が悪いのだと思い込んでいた分、反動で、一部ではなく”すべて”周りが悪いのだと思うようになってしまった。

実際は、私も悪い部分はあったし、周りにも悪い部分はあった。
どちらかが”すべて”を背負っているわけではないのだ。

 

いま振り返ると、その反動が起こったことこそ、私の中で変化が起こった証拠なのだろう。

周りに対してご機嫌取りのように様子をうかがいながらビクビクと怯えていた私が、周りを攻撃するようになっていたのだから。

怯えなくてもいい、ということが、実感としてわかっていなかったのかなぁ。

どうしていいかわからなくて、反動を抑えることができなかったのかなぁ。

 

フリーランスになったことに後悔はないし、今の私はやりたいことを持ち、やろうともがくことができていて、それをしんどいとは思っていない。

 

けれども、当時の私が、もっと視野を広く持てて、恵まれた環境にいることに気づけていたのなら。
周りに攻撃せず、感謝と敬意をもって、素直に貢献できていたのなら。

 

私の理想や目標、私のやりたいことは、いまとは違っていたのかもしれない。

私にとってベストな環境は、会社に残って働くことになっていたのかもしれない。

 

当時の私は、視野が狭かったのだと思う。

けれど、それが悪かったことだったのかというと、そういうわけでもないのかなぁと思う。

変化があったからこそのことであるし、視野が狭かった時期があってこその今がある。

そう思うと、ある意味貴重な経験をした。

 

いま、私は当時の私を振り返ることができていて、「視野が狭かったのだ」と知ることができている。

それだけ、私は変化し続けていて、成長しているのだと思う。

 

後悔はいっさい無い。

けれども、過去のこの経験を、「悪い思い出」「苦い記憶」で終わらせようとは思わない。

 

過去を振り返るからこそ、気づけることがちゃんとある。

今に活かせる学びが、ちゃんとある。

 

それを知っていることが、大切な気がするんだ。

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