これまで生きてきたなかで、「全てのことは積み重ねである」と考えるようになった。
それに関する書物をよく読んでいたわけではないし、学生時代に学んでいたわけでもない。
ただ、これまでの経験や体験から学んだことのほとんどが、そこに行きつくのだ。
足の速い子はなぜ足が速いのだろうか。
歌が上手い子はなぜ歌が上手いのだろうか。
他の子より練習をした、とかそういう話もあるけれど、例えばこういう話にも言い換えられるだろう。
幼い頃から他の子よりもきれいなフォームで(練習とかではなく)走り続けてきたから、自然を速く走れるようになった、とか。
他の子よりも体幹を使うことが多く、幼い頃から(歌の練習とかではなく)何らかの理由で腹式呼吸をするような生活をしていたから、歌が上手く歌えるようになった、とか。
練習ではない部分での積み重ねがあったから、上手いのではないだろうか。
逆もあり得る。
例えば太ってしまう人や不健康な人は、「運動をしない」「野菜を摂らない」などを積み重ねてきたのではないだろうか。
そう、「やらない」も立派な積み重ねである。
私がこれまで生きてきたなかで感じた「積み重ね論」は、「人のあらゆる行動や考えはこれまでの習慣によるものであり、どんな習慣も全て積み重ねによって身についたもの」、という考えだ。
きっかけとなった出来事はあるかもしれないけど、それが身につくまで積み重ねたからこそできるようになっているし、ついついやってしまうのでは、みたいな。
だから何をするにも積み重ねが大事だと思っている。
だからこそ一度積み重ねたものを崩して新しく積み重ねるのは大変だと思っている。
(こう考えているからといって、できるできないはもちろん別の話)
人って、自分でも気がつかないうちにいろんなものを積み重ねてると思っている。
だからそれぞれの習慣や癖、考え方があるのだと思う。
私の早寝の習慣は、逆に言えばこれまで”夜更かししない”を積み重ねてきたからこその早寝であるし、
会社に行くのが嫌なのは、”会社に行くと大変な思いをする”とか”会社に行くのは面倒なもの”という考えを積み重ねてきたからなのだと思う。
“会社に行くのが楽しい”を積み重ねてきた人だったなら、会社に行くのが嫌になることってあまり無いんじゃないのかなぁと。
もちろんこれは私の凝り固まった固定観念だから、隙も綻びもあるだろうし、必ずしも正しいわけではないし、真理でもない。
でも少なからず、今の私は、この「積み重ね論」を信じている、という話。