過去に書いたメモをログとしてここに記します。
短編集を読むつもりでお楽しみください。
ちなみに今回はネガティブなものばかりです。落ち込んでいたのでしょうね。
バカであろう。
前向きなバカに。素直なバカに。
別に頭を悪くしようという意味ではない。
まるでそれ以外のこと知らないかのように没頭する、「バカみたいに夢中になる」という意味だ。
周囲の目など気にも止めず、自分の目の前のことに必死になる。
前向きに考えよう。素直に話を聞こう。
最近、毎日泣きそうだ。
泣きそうなだけで、涙が流れる気配は無い。
泣くのを我慢している感覚もない。
ただ、コップにめいっぱい注がれた水のように、表面張力でなんとかこぼれないだけで、何かの拍子に溢れてしまうような。
そんな感覚が、ここ最近毎日ある。
いっそのこと泣けたらいいのにと思う。
でもきっかけは無いし、泣く要素もない。
泣いて解決するわけでもないというのもなんとなくわかっている。
一度泣いてみたところで、泣きそうな感覚が消えてなくなるわけでもない。
毎日泣きそうなのは、どうしてだろう。
結局は、自分の気持ちの問題なのかもしれない。
コンプレックスとか、メンタルブロックとか、そういう話
常に注目されていたい自分がいる。
もちろん悪い意味じゃなく、良い意味で注目されていたい。
そう思うのはなぜか。
注目されることが自分への良い評価の表れのような気がしているからなのかもしれないし、自分を認めてもらえたような気持になるからなのかもしれないし、「良い意味で注目されている=すごい自分でいられている」みたいなイメージでいるからなのかもしれない。
注目されたくて必死になろうとする自分がいる一方で、注目されることに必死な自分を恥ずかしいと思って冷ややかに見ている自分がいる。
必死な自分がみっともないとすら思う。
自分の必死な姿を「格好悪い」と思う自分がいる。時折、ヒトの必死な姿すら、冷やかな目で見ている時がある。
本当は、必死に頑張れることって本当にすごいことだと思っているし、なんならそうありたいとすら思っているのにも関わらず、心のどこかで「みっともない」「格好悪い」「恥ずかしい」と思っている自分がいる。
心の奥底で、努力の部分はいっさい見せず、弱音も吐かず、しれっと何でもこなせるような人が本当にすごいかのような幻想を抱いているのかもしれない。
でも、一方で、自分の気持ちを言葉にしたくて仕方ない自分…「わたしこんなに頑張ってるんです!つらい思いをしてるんです!」と言いたくてたまらない自分もいて。
どっちの自分が本当なのかもわからなくて、けれどきっとどっちの自分も本当なのだろうとも思っている。
こういう場合、どういうふうに対処すればいいのだろうか。
わたしは結局どうしたいのかを考えたとき、弱音を吐いても、みっともなくても、必死になって目標に向かう自分でありたいと考えている。
そうなると、必死な姿を恥じて、蔑み、冷やかに嘲笑う自分はどうすればいいのだろう。ただただ押し殺せばいいのだろうか
人に構われたい自分を何とかしたい。
そのためにはまず自分を変えること。
多少苦しい思いをしてでも、自分を変えていくことができれば、周りも変わる。
なんなら人に構われるようにもなる。
自分から出てくる言葉が全て陳腐なものに感じる。
何をどう言ったところで何も変化しない、波風すら立てられない、果てのない虚無感。
私が言葉を発したところで何も変えることができなくて、私自身何も変わることができない。
だとしたら言葉を発する意味はあるのだろうか。
それでもやっぱり言葉にしたくなるのは、もうそういう性分なのかもしれないけれど、言葉にしてしまうと、どうしてもその言葉を見てほしくなって、それを見て何かを感じてほしくなって、その言葉で何か変化を起こしたくなってしまう。
けれども、何も変化なんて起きないと感じてしまって、再び果てのない虚無感を抱え、己の希望、欲望、期待との差に絶望して、言葉にするたびに泣きそうになる。
私は今何をやっているんだろう。
正解なんてある意味存在しないのに、存在しない正解をずっと探しては、「ねぇこれ合ってる?」と誰も彼もに確認している。
でも正解なんて誰にもわからないから、何ならきっと自分にしかわからないから、誰に聞いたって意味がない。
だとしたら、答え合わせってどうしたらいいの、ってしょうもないことをずっと嘆いてる。
どんなに喚いたって、問うのは自分、答えるのも自分、正解がわかるのも自分。