【自分史】とにかく大好きなのは私だけだった?【幼少期②】

雑記

こんにちは。きしめんです。

今回は自分史シリーズ、幼少期の続編です。

 

姉の幼少時代も負けず劣らず面白い

まずは、私が産まれたときから一緒にいる姉の紹介を少し。

姉の名前を仮に「リーヌ」とします。※日本人です

 

リーヌも幼い頃はなかなかやんちゃだったらしく、私よりもちょっと危ないエピソードがあります。

代表的なのは、ピンセットをコンセントの穴にぶっさしてブレーカーを落としたこと。
私はまだ産まれていないときに起こったことらしいです。

親としてはなかなか肝が冷える事件ですよね。

ほかにも、アイロンビーズを鼻に詰めて取れなくなった話も聞いたことがあります。
(このときにピンセットを初めて買いに行ったそうなんですが、それが後にブレーカーを落とす道具となるとは、さすがの両親も想像だにしなかったでしょう)

 

このほかに、私が聞いたなかで好きなエピソードが2つあります。

一つは、まだ私が産まれていなかったころの話です。
リーヌは誰かと一緒に寝るとき、片手の親指をしゃぶりつつ、もう片方の手は一緒に寝ている相手の耳たぶを触っていたそうです。自分の耳たぶではなく、相手の。

何それカワイイかよ。笑

 

もう一つは、私が産まれてやんちゃ坊主になったころ、私が悪さをして母に怒られては「もう捨てるよ!」という母の脅し文句に対して、何故かリーヌが反抗してくれたそうです。

「ダメ!捨てちゃダメなの!」と、泣きながらドアの前に立ちはだかったのだとか。

その時の記憶は、私にはまったくありません。
リーヌに聞いても「覚えてない」と言います。

けれども、当時のリーヌにとって妹である私は、少なからず捨てられてはならない大切な存在だったのかなと思うと、なんだかくすぐったく感じます。

 

はじめてのおつかいでお気楽なのは私だけでした

私が覚えている限りで、とても印象的な記憶があります。

リーヌとはじめて、2人きりで出かけた日の記憶です。
いわゆる、「はじめてのおつかい」ですね。

 

母方の祖父母の家に、2人だけで行くというおつかいでした。

はじめてにしてはハードルが高く、電車に乗り、決まった駅で1回乗り換えて、また電車に乗って目的の駅へ行くという、電車を乗り継ぐおつかいです。

母は幼い頃からしっかりものだったリーヌに、乗り換える駅の名前と、乗る場所から何番目かを何度も教えました。
家を出る前のリーヌはしっかりと頷き、覚えたから大丈夫、と自信満々だったそうです。

しかし、いざ駅のホームまでやってくると、突然リーヌが泣きだします。
きっと、直前になって一気に不安になってしまったのでしょうね。

傍にいた私は、なぜリーヌが泣いているのかわかりませんでした。
とにかく泣き止んでほしかったのは憶えています。

 

母が必死になだめて、いざ電車へ乗り込みました。

私はとにかくリーヌとのお出かけにわくわくしていて、いつもの落ち着きのなさを発揮していました。
座席に膝をのせて窓を眺めて、静かにしているリーヌに話しかけ、じっと座るということはしていませんでした。

一方リーヌは、乗り換えを間違いないようにするのに必死でした。
何番目の駅で降りるのか、必死に数を数えていて、私が話しかけてもずっと無視していました。
もしかしたら、「静かにして!」と怒られたかもしれません。

私は子供ながらに、リーヌと楽しい気持ちを共有したいと思っていました。
だからしきりに話しかけていたのに、リーヌはそれどころではありません。何度目かに話しかけたときには怒られてしまい、少し悲しくなった記憶があります。

 

今になって思えば、リーヌへのプレッシャーは相当なものだっただろうなと思います。

じっとしていられない私を連れて、親のいない状況で電車を乗り継いで、よく知らない土地へ行く。
どれほど不安だったことでしょう。直前に泣いてしまっても仕方ないと思います。

それでも「お姉ちゃんの私がしっかりしなきゃ」と必死に駅を数え、きちんと間違わずに乗り換えをして、祖父の車が待つ目的の駅までたどり着いたのです。

姉は本当にしっかり者だったんだなぁと思います。

 

一方の私は、ただただリーヌとのお出かけが楽しかったです。

乗り換えのことなんて微塵も考えてませんでした。姉が連れていってくれるものだと思っていましたし、当時の私にとって「両親や姉について行ったら目的地にたどり着く」というのが普通でした。

リーヌが感じているプレッシャーなんてわかるわけもなく、2人で出かけられることがひたすら嬉しかったです。

 

大好きな気持ちには思いのほか歴史がある

 

こうして振り返ってみると、私は幼い頃からリーヌが大好きだったんですね。

当時、一緒に遊べることがとにかく嬉しかったですし、何かと話しかけていたように思います。

 

今ではお互いに意見をぶつけ合ったりイラついたりすることもありますが、それでも姉のことは大好きだと、胸を張って言えます

リーヌにとって、私はどんな存在だったのでしょう。

世話の焼ける面倒な妹だったのでしょうか。
甘やかされてばかりでズルい存在だったのでしょうか。

本人に聞くことがないのでわかりませんが、姉としてのプレッシャーは私なしにはあり得なかったことでしょう

そのプレッシャーは時にリーヌを苦しめ、時に成長させてきたのかもしれないと思うと、私たち姉妹はお互いに影響を受けあっているのかなぁと思いました。

 

さて、少し長くなりましたが、幼少期はこんな感じです。

次回は小学生時代を振り返ります。

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